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玄関の鍵が閉まる音と同時に、空気が変わった。
靴を脱ぎかけた遥の背中に、いきなり蹴りが飛ぶ。
肺の奥の空気が勝手に抜け、膝が床に落ちる。
「――ただいま、は?」
怜央菜の声は穏やかだった。
笑っているのに、絶対に逃がさない捕食者の声だった。
遥は痛む喉で、習慣のように言った。
「……ただいま」
その小さな声が、逆に沙耶香の神経を逆撫でしたらしい。
棒が肩に振り下ろされる。
鈍い音。
体が揺れた。
「声が小さいの。
聞こえないって、何回言わせんの?」
遥は歯を食いしばって起き上がる。
背中が脈打つように痛む。
颯馬が、靴を脱ぎながら言った。
「ねぇ?今日、先生が言ってたよ?
『兄弟の中で問題起こしてるのは遥くんだけです』って」
怜央菜は首をかしげた。
「……あら。じゃあ、どうするべき?」
颯馬は笑う。
昼間の保健室で見せた、あの薄い笑み。
「俺らの“ルール”が届いてないってことだよ。
な?遥」
その瞬間、晃司の手が遥の髪を掴む。
引きずられるように廊下へ。
「――正座しろ」
言われた瞬間、足が勝手に折れた。
身体より先に、条件反射が従ってしまう。
遥が床に膝をつくと、怜央菜がベルトをゆっくり外した。
「いい?遥。
“言葉”は行動で示すものよ」
「……」
「今日も、日下部に頼ったでしょ?」
遥の背が硬直した。
颯馬が嬉しそうに言う。
「頼ったんじゃない?
保健室で、何してた?」
怜央菜はゆっくり近づき――
ベルトの端で、遥の肩を軽く叩いた。
それが“合図”だった。
次の瞬間、勢いよく腕にしなる。
皮膚が焼けるような痛みが走る。
「家以外に助けを求めるのは――」
もう一発。
ベルトの金具がかすめ、恥ずかしいほど短い息が漏れた。
「――何違反?」
遥は声が出ないまま、唇を震わせた。
「……家族、違反……」
「そうよ。ちゃんと言えるじゃない」
棒が横腹に入る。
倒れそうになる体を、晃司がわざと支えて落とさない。
逃げられないように“痛みを続けさせるため”だけの支え。
怜央菜は続ける。
「じゃあ、“頼る先”は?」
「……家……」
「誰に?」
「……おまえら、に……」
「そう。よくできました」
褒める声なのに、次に頬へ平手が飛ぶ。
反射で目が潤む。
颯馬が囁く。
「ねえ遥。
日下部の名前、今から五回言って?
“もう頼りません”って」
遥の喉が詰まった。
声を出すたびに、胸の痛みが走る。
けれど拒否すれば、もっと酷くなるのを知っている。
「……日下部……
もう……頼ら、ない……」
声が震えた瞬間――
怜央菜のベルトが背中を打った。
「滑舌。
心がこもってないのよ」
遥は、息を吸うだけで肋骨が痛む中、
なんとか言葉を整えた。
「……日下部なんか……頼らない。
俺は……家だけ見てればいい……」
颯馬が満足そうにうなずいた。
「そうだよ。
お前は“俺らのためだけ”に生きてればいいの」
棒の音が、最後に一度だけ背に落ちる。
怜央菜は、何事もなかったかのように立ち上がる。
「ね、これで忘れられるわよね?
外の人なんて」
遥は――答えなかった。
答えられなかった。
ただ、床に手をつきながら、
吐き気と痛みをごまかすように呼吸を整えていた。
その姿を見て、颯馬が小さく笑った。
「……夜はまだ終わってないよ?遥」