栞が思い出した過去の出来事とは、こんなことだった。
あれは栞がまだ中学生だった頃、都内の難関校を目指していた娘のために、父が家庭教師をつけてくれた。
家庭教師は近所に住む青年で、栞の父が町内会の役員を引き受けた時に一緒に役員をやった人の息子だった。
彼は、日本一難しいといわれる国立大学の学生で、栞と同じ町内に住んでいた。
青年は非常に優秀で教え方も上手だったので、栞の成績はグングンとアップし、無事志望校へ合格できた。
彼は、素直で純粋な栞に好意を抱いていたようだが、当時の栞はまだ幼く、恋愛などにまったく興味がなかった。
だから、青年の好意には気付かないふりを通していた。
そんな青年に対し、華子が目をつけた。
青年の自宅は町内一の大豪邸で、代々いくつもの会社を経営している家系だった。
青年が資産家の育ちだと知った華子は、彼に狙いを定めたのだ。
栞の受験が終わる少し前から、華子は青年にアプローチを始めた。
当時高校二年生だった華子は、あの手この手で青年を誘惑したが、彼が華子になびくことはなかった。
父親の知人の息子であり妹の家庭教師でもある青年に対し、必死にアプローチを続ける華子を見て、栞は恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
その他にも、こんなことがあった。
華子は高校時代、ボーイフレンドをよく家に連れてきた。しかし、ボーイフレンドが妹の栞に興味を持ち始めると、途端にボーイフレンドを家に呼ばなくなる。
今思えば、華子はボーイフレンドが自分より妹に興味を持つことが許せなかったのだろう。
栞はあの本のおかげで、華子が考えていることがすべて手に取るように分かるようになった。
華子は常に栞のことを下にみているのだ。
だから、自分より劣っているはずの妹が、誰かに注目されることが我慢できないのだ。
そして、華子は隙あらば栞が持っているものを奪いたいと思っているのだろう。
だから、栞が自分の知らないハイスペックな男性に送ってもらったことが許せずに、奪い取ろうと思っているのかもしれない。
華子は、いつもそうやって栞からいろいろなものを搾取してきた。
姉の本性を知ってしまった栞は、あの本のアドバイス通りに行動して自分を守ることに決めた。
そこで、栞は姉に向かってこう告げた。
「心配してくれてありがとう」
そう一言だけ返すと、温まったコロッケと味噌汁をテーブルへ運び、テレビのニュースを見ながら食事を始めた。
それ以上何も聞き出せないと悟った華子は、ムッとした表情で無言のまま二階へ上がっていった。
彼女は機嫌が悪くなるといつもこんな態度だった。
(やっぱり先生のことが知りたかったのね…….)
栞は苦笑いをしながら食事を続けた。
その頃、直也は三軒茶屋の自宅マンションに到着した。
車を地下駐車場に停め、住居フロアへ向かう。
このマンションは、28歳のときに思い切って購入したものだ。
寝に帰るだけの住まいに高い家賃を払うのが馬鹿らしくなり、直也は大手不動産会社に勤める高校時代の友人に相談して、この物件を購入した。
今のところ、恋人もいないし結婚の予定もない。だから今は直也が一人で住んでいるが、もし自分が住まなくなっても、ここなら賃貸に出せる。
駅から近い立地なので、投資物件としても十分活用できるだろう。
直也にはいくつかの趣味があった。
それは、サーフィンとバンドだ。
サーフィンは、今でもたまに湘南の海で楽しんでいるが、バンド活動の方はすっかりご無沙汰だ。
学生時代はライブハウスで音楽活動もしていたが、最近はメンバー全員が忙しくて集まる機会も少なくなっていた。
いつか時間ができたら、また活動を再開したいと思っている。
今、直也は本業の精神科医の仕事に加え、本の執筆依頼が相次いでいた。
実は、栞に渡した本は、彼自身が執筆したものだ。
部屋に入ると、直也はすぐに電気とエアコンをつけた。
エアコンをタイマーにしていなかったこと後悔する。
この部屋は日当たりはいいが、さすがに一月ともなれば室内は冷え切っていた。
14階から見える夜景は、とても美しかった。
都心のタワマンに比べたら若干落ちるかもしれないが、この辺りではかなりいい方だ。
直也は、窓から夜景を見下ろしながら今日の出来事を思い返した。
栞が変な男たちに絡まれているのを見て、心臓が止まるかと思った。
もし自分があそこを通りかからなかったらと思うと、ゾッとする。
直也は、栞を特別な存在として意識していることに気づいていた。
一人の女性が、ここまで気になるなんて初めてのことだった。それも、相手は女子高生だ。
栞に出逢ってから、こんなにも心が大きく揺さぶられていることに、直也はかなり戸惑いを覚えていた。
(相手は患者だぞ……それに、診察はもう終了したんだ。だから、もう彼女に会う理由はないんだ)
そう思うと無性に切なくなり、直也は大きなため息をついた。
(おまけに、受験前の大事な時期だしなぁ……)
悶々としつつ、そこで直也は考えることをやめた。
「シャワーでも浴びて頭を冷やすか……」
そう呟くと、重い足取りでバスルームへ向かった。
コメント
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直也先生自分の気持ちに気がついて切ないね😢 あと少し大学生なるまでさり気なく見守ってあげて下さいね それまで栞ちゃん先生の本を頼りに頑張るから それにしてもこの華子ちゃん イライラする💢これ以上栞ちゃんを傷つけないで欲しい‼️
直也先生栞ちゃんの事思うと切ないね😢栞ちゃんも今まで華子に散々嫌な思いをさせられたけど直也先生の書いた📕に助けられて良かった🌷😊 色々思い出しながら読ませて頂いています😊☘️
義姉はちょっと分かりやすいタイプ😨栞ちゃんは搾取されないように自衛するの大事🫶 直也さん〜まだ栞ちゃんが高校生だから自分の気持ちを自覚しても葛藤があるよね。。 だけど気になる存在の栞ちゃん。お客としてお店に通っちゃいなよ🤭