車は新宿の外れの方を目指して走っていた。辺りは薄暗くなり始めていた。
新宿のビル群が輝き始めるこの瞬間を、優羽は昔から何度も見ていた。
懐かしいその光景が窓の外に流れていく。
新宿の煌びやかな街並みを眺めながら、優羽はこの街で西村と肩を並べて歩いていた昔を思い出していた。
あの頃は、この華やかな高層ビルの谷間で愛する人と過ごすひと時に心が浮足立つような感覚だった。
まるで自分がシンデレラにでもなったようなそんな錯覚を起こさせる大都会の煌めきは、ある日突然幻のように優羽の前から消
え去っていった。
その時の切ない思いが一瞬胸をかすめたが、優羽はその思いを振り払うようにして視線を前へ向けた。
そこには当時と変わらない輝くビルの街並みが映し出されている。
今の自分はあの頃の自分とは違う。優羽はそう自分に言い聞かせると、まっすぐに前を見据えた。
これからの自分は叶えたい夢、望む未来だけを信じ、ただ突き進んでいくのだ。
だから過去を振り返っている時間などない。今はこの仕事をきちんと全うする事にのみ、集中しなければ…そう思った。
優羽の瞳は、頼もしいくらいのやる気と希望に満ち溢れていた。そんな優羽の脳裏に以前岳大に言われた言葉が蘇ってくる。
「君は常に自分の思い描く夢だけにフォーカスするんだ」
その言葉が頭をよぎった瞬間、優羽は車窓から夜空を見上げた。
星一つ見えない都会の夜空には、目に見えない無数の星々が輝いているに違いない。
三人が乗った車は、やがて西新宿の片隅にある小さなホテルへ到着した。
今夜はこのホテルに併設されているイタリアンレストランに行くようだ。
ホテルは「ローズホテル」という名で、併設されているレストランはイタリア語の「星空」を意味する「cielo stellato」という
店だった。
「今夜は優羽さんが喜びそうな雰囲気の店をセレクトしてみました」
歩きながら井上がニコニコして言った。
それを聞いた岳大は、
「井上君は今日の下見で、彼女ともうここには来ているんだろう?」
と茶化す。すると井上は、
「いいえ、今日が下見です!」
ときっぱりと言ったので、岳大は、
「経費でデートの下見かぁ! ちゃっかりしているなぁ」
とからかったので、思わず優羽はフフッと笑った。
すると井上は、すみませんと言って照れくさそうに笑った。
三人が店に入ると、スタッフが出迎える。
「お待ちしておりました。佐伯様三名でございますね」
それから三人を奥へ案内した。
スタッフについて行くと、石畳が敷き詰められた中庭へ通された。
そこにはいくつものテーブル席があり、秋咲きの可憐な花をつけたバラの脇にあるテーブルに三人は案内された。
その素敵な中庭を見た優羽は、
「素敵! 外でお食事ができるのですね!」
と嬉しそうだ。
夜空を見上げると明るい月が輝いていた。
スタッフが来ると、岳大はワインを一本頼み、酒が飲めない井上にはジンジャーエールを頼んだ。
そして飲み物はすぐ運ばれて来る。
三人がグラスを手にすると、岳大が言った。
「今夜は集まってくれてありがとう。これからいよいよ『peak hunt5』の本格的なリニューアルが始まります。新作の準備は
整いました。まずは、新しいカタログをしっかり作る事! そして来年は実店舗のオープンに向けてさらに忙しくなりますが、
三人で力を合わせて乗り切りましょう!」
その言葉を聞き優羽はびっくりした顔をしたが、優羽が言葉を発する前に井上が、
「乾杯!」
と言ったので、三人は乾杯してから飲み物を一口飲んだ。
優羽もワインを一口飲んでから慌てて聞いた。
「実店舗ですか? お店をオープンするのですか?」
「優羽さんにはまだ言っていなかったんですね。そうなんですよ、佐伯さんがやっと店をオープンする気になったみたいで」
「前々から計画はしていたんですが、忙しくて先延ばしになっていたんです。でも漸く来年オープンする目途が立ちました。と
言っても、まだこれから建築関係の打ち合わせや手続き、店が出来てからもスタッフ募集などやる事は山積みです」
岳大はそう言って穏やかに笑った。
優羽は信じられない思いでいっぱいだった。
優羽は岳大の事を山岳写真家、登山家だと思っていたが、これだとさらに実業家という肩書が追加されてもおかしくはない。
自分が仲間に入れてもらった仕事は、優羽が思っている以上の規模の仕事になるのでは? そう思い少し怖気づいてい
た。
そんな優羽の気持ちを察した岳大が言った。
「優羽さんには、出来る範囲で構わないので是非参加して欲しいです。無理なお願いはしないので安心して下さい」
「お気遣いありがとうございます。それにしても佐伯さんと井上さん、凄いです。たった二人でこれから更に大きな事にチャレンジするのですから」
「僕はワクワクしていますよ。佐伯さんの事業は、単なる商売じゃないんです。その根底には常に自然に対する敬意、そして自然を守りたい一心があるんです。僕は、そんな思いの事業計画に参加できるだけでも嬉しいなぁ」
そう井上が言った。
「井上君にも期待しているからね。いつも的確なサポートをしてくれて、本当に感謝しているよ。ありがとう!」
岳大はそう言うと、ジンジャーエールの瓶を持って井上のグラスへ注いだ。
優羽は二人の事を微笑んで見ていた。
二人の間に強い信頼関係がある事は優羽の目から見てもわかった。
その後三人は、次々と運ばれて来る美味しいイタリア料理に舌鼓を打ちながら、これからについての話で盛り上がった。
新しい店舗についてのアイディアが、三人の間からひっきりなしに出て来る。
イチから店を作り上げる作業に、三人はとても興奮していた。
そして前向きな議論は途切れることなくいつまでも続き、いつの間にか新宿の夜は更けていった。
月が綺麗に輝く初秋の夜だった。
コメント
2件
リニューアルも店舗開店も成功しますように…( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
みんないろんな思い出を抱えて生きている。辛い思い出も過去の産物。 優羽ちゃんはこれから岳大さんと井上君と3人で成功を目指して頑張って👍😊❣️