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#短編
#読み切り
放課後。
教室には夕日が残っている。
オレンジ色の光が机を照らしているのに、どこか冷たく見えた。
生徒はしばらく黙っていた。
そしてぽつりと言う。
「取り返せないものってあるじゃないですか」
遥は静かに聞いている。
「例えば」
生徒は続ける。
「楽しかった学生時代とか。
普通の家庭とか。
友達との思い出とか」
一拍。
「そういうの」
視線が落ちる。
「もう無理じゃないですか」
教室が静まる。
遥は何も言わない。
「今から頑張っても、今から変わっても」
一拍。
「過去そのものは戻らない」
沈黙。
「だから」
少し苦く笑う。
「たまに思うんです」
一拍。
「もう遅いんじゃないかって」
教室に静かな空気が落ちる。
遥は窓の外を見る。
「何が遅い」
短く。
生徒は止まる。
「……え」
遥はもう一度聞く。
「何が遅い」
短く。
生徒は考える。
答えようとして。
うまく言葉にならない。
遥は言う。
「取り返すのがか」
短く。
沈黙。
生徒は小さく頷く。
遥は机に指を置く。
「そりゃ無理だ」
短く。
教室が静まる。
生徒は少し目を伏せる。
予想していた答えだった。
でも実際に言われると重い。
遥は続ける。
「十五歳は戻らない。
十年前も戻らない。
なかったものも」
一拍。
「なかったままだ」
沈黙。
教室の空気が少し重くなる。
生徒は苦笑する。
「ですよね」
小さく。
遥は言う。
「でもな」
短く。
「お前、ずっと勘違いしてる」
生徒は顔を上げる。
遥は続ける。
「取り返せないことと」
一拍。
「終わってることは違う」
教室が静まる。
生徒は黙る。
遥は窓の外を見る。
「子どもの頃に欲しかったもの。
本当はしてほしかったこと。
本当は欲しかった場所」
一拍。
「それは戻らない」
短く。
「でも」
少し間。
「だから今後全部無意味になるわけじゃない」
沈黙。
生徒は視線を落としたまま聞いている。
遥は続ける。
「お前が苦しいのは」
一拍。
「失ったからじゃない」
短く。
「失ったものを基準にしてるからだ」
教室が静まる。
「……基準」
遥は言う。
「本来なら持ってたはず。
本来ならできたはず。
本来なら普通だったはず」
一拍。
「そこから人生を見てる」
沈黙。
生徒は何も言えない。
心当たりがありすぎた。
遥は続ける。
「だから何やっても足りない」
短く。
「比較対象が存在しない人生だから」
教室の空気が少し変わる。
「……あ」
小さく出る。
遥は言う。
「失ったものは失ったままだ」
一拍。
「それは事実だ」
短く。
「でも」
少し間。
「お前の人生は、その失ったものの補填作業じゃない」
沈黙。
生徒は止まる。
遥は続ける。
「よくいるだろ」
一拍。
「人生全部使って、昔失った一点だけ見続けるやつ」
短く。
「何十年経ってもまだそこにいる」
教室が静まる。
その言葉は妙に刺さった。
生徒は窓を見る。
夕日が少しずつ落ちていく。
「……俺」
小さく言う。
「そこに住んでたかもしれない」
遥は何も言わない。
沈黙。
しばらくして生徒が聞く。
「じゃあ」
一拍。
「取り返せないものはどうしたらいいんですか」
遥は少し考える。
そして言う。
「取り返さなくていい」
短く。
教室が静まる。
「え」
遥は続ける。
「持ってなかったことは変わらない。
なくなったことも変わらない」
一拍。
「だったら」
少し間。
「それを持った人生を目指すな」
沈黙。
「持たなかった人生として考えろ」
教室は静かになる。
生徒は何も言わない。
すぐには飲み込めない。
でも。
どこかで分かる気もした。
取り返せないものがある。
それは本当だ。
けれど。
人生は、失ったものを全部回収してから始まるわけじゃない。
失ったまま進むしかない道もある。
そして案外、多くの人がそうして生きている。
コメント
1件
「取り返せないことと終わってることは違う」——この台詞がじんわり刺さりました。学生の「はい」じゃなくて「え?」って返すところとか、遥先生の言葉をすぐ飲み込めなくて黙る間とか、余白の使い方がすごく巧みだなと思いました。「持たなかった人生として考えろ」って、すごく厳しいけど、でも確かにそうだよなって、読んでるこっちも呼吸が静かになるような感覚がありました。連載、続きが気になります。