テラーノベル
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放課後の教室には、もう人の気配がなかった。
黒板の端に残ったチョークの粉が、夕方の光を受けて白く浮いている。
机を二つ並べた相談スペースに、女子生徒が座っていた。
カーディガンの袖を引っ張りながら、視線を床に落としている。
「……最近」
小さな声が落ちた。
「時間だけ、進んでる気がするんです」
遥は、椅子の背にもたれずに座っていた。
姿勢は崩さないが、緊張もさせない。
「みんな、次の話してて。
高校のこととか、将来とか」
女子生徒は、言葉を探すみたいに間を置く。
「私は、今日のことだけで精一杯なのに。
気づいたら、
“もうこの学年終わるね”って言われてて」
遥は、机の端を指で軽く押した。
動かない。
「置いていかれてる感じか」
女子生徒は、はっきりとうなずいた。
「でも、何もしてないわけじゃないんです。
学校も来てるし、課題も出してる。
ちゃんと“やってる”はずなのに……」
声が少しだけ掠れる。
「中身が、動いてない感じがして」
遥は、すぐには答えなかった。
外を通る風の音が、少し大きく聞こえる。
「なあ」
低い声で言う。
「時間って、全員に同じ速さで来ると思うか」
女子生徒は、戸惑ったように首を傾げた。
「……同じ、じゃないんですか」
「カレンダーは同じだな」
遥は淡々と言う。
「でも、人の中身は違う」
女子生徒は顔を上げた。
「止まる時期があるやつもいる。
巻き戻されるやつもいる。
進むのが遅れるやつもいる」
「それって……」
女子生徒は言葉を詰まらせる。
「遅れてる、ってことですか」
「違う」
遥は即答した。
「調整中だ」
「調整……」
「何かが追いつくのを、待ってる時期」
遥は続ける。
「気持ちとか、考えとか、
まだ整理できてないもの」
女子生徒は、膝の上で手を組み直した。
「でも、周りは待ってくれないです」
「待たないな」
遥は否定しない。
「だから焦る」
少し間を置く。
「でもな。
“焦れてる”ってことは、
ちゃんと自分の速度を感じてるってことだ」
女子生徒は黙ったまま聞いている。
「何も感じてなかったら、
置いていかれてることにも気づかない」
「……じゃあ」
女子生徒は小さく言う。
「今の私は、
ちゃんと生きてるんですか」
遥は、少しだけ考えてから答えた。
「少なくとも、
止まってる自分を、誤魔化してない」
女子生徒の目が、揺れる。
「止まってる時間って、
無駄だと思われやすいけど」
遥は視線を落としたまま言う。
「後で振り返ると、
一番“考えてた時期”だったりする」
「……今は、何も形になってないです」
「形にする時期じゃない」
遥の声は静かだった。
「溜める時期だ」
夕方の光が、机の影を長く伸ばす。
女子生徒は、ゆっくり息を吐いた。
「私、
早く進めない自分が、嫌でした」
「嫌になるなとは言わない」
遥は言う。
「でも、“遅れてる”って名前を付けるな」
「じゃあ、何て呼べばいいですか」
遥は少し考えてから答えた。
「途中だ」
女子生徒は、その言葉を何度か心の中で転がす。
「……途中」
「終わってない。
始まり損ねてもいない」
廊下で誰かの足音がして、遠ざかる。
女子生徒は立ち上がり、軽く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
遥は目を伏せたまま言う。
「時間に追いつこうとするな。
自分に追いつく方が、先だ」
扉が閉まり、教室に静けさが戻る。
遥は一人になり、窓の外を見る。
夕焼けはもう消えかけているが、
完全な夜には、まだなっていなかった。
「……途中で止まれるやつは、
ちゃんと進む気がある」
そう呟いて、
次の来訪者を待った。
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