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夜。
布団に潜り込んでも、遥の身体は強張ったままだった。
誰の気配もない暗がり。
けれど、そこは“安全”ではなかった。
いつだって扉は開き、足音は聞こえ、笑い声が背後から這い寄ってくる。
──そのはずだった。
けれどその夜、夢の中で遥はひとり、屋上にいた。
陽の落ちたグレーの空。風が吹く。
フェンスの向こうに、誰かが立っていた。
──日下部だった。
夢だと、すぐにわかった。
こんなに穏やかで静かな光景は、現実にあるわけがない。
なのに、遥の心はざわついた。
「……見んなよ」
口が勝手に動いた。
「そんな顔で、俺を見んな……」
日下部は何も言わない。ただ見ていた。
汚れているとも、哀れだとも言わない。
ただ、そこにいた。
その視線が──耐えられなかった。
「なあ……なんで、俺に優しくすんの……?」
声が震えていた。
呼吸が荒くなる。
身体が熱いのに、手足だけが冷たくて、指先がうまく動かない。
「……罪滅ぼし? 同情? あのときの後悔……?」
「違う」
日下部が初めて口を開いた。
その一言に、遥の膝が崩れた。
その場にしゃがみ込み、肩を震わせた。
「だったら……なんなんだよ……!」
「おまえが優しいままでいるたびに、俺、壊れんだよ……!」
「欲しくなる。……欲しくて、……壊したくなる」
「全部ぶっ壊して、泣かせて、殴らせて、殺して、抱かれて、終わらせたくなるんだよ」
「俺のことなんて、助けようとすんなよ……!」
遥の声は嗚咽にまみれていた。
「俺……ずっと、誰にも……望まれてなんかねぇし」
「“俺”なんてものが、そもそもどこにもないんだよ……!」
「おまえまで……“俺”を見んじゃねぇよ……!」
風の音が消えた。
世界が静まり返る。
日下部は一歩、近づいた。
「……それでも、見てる」
遥は顔を伏せ、唇をかみしめる。
「そんな目、すんな……」
「そんな顔で、“俺のこと”なんて呼ぶな……!」
「優しい“おまえ”が……俺を知ったら、終わるだろ……?」
「“終わってほしい”って思う俺のこと、……どうすんだよ……」
そして、ふっと。
目が覚めた。
重たい呼吸。湿った布団。濡れた目元。
──夢だった。
それなのに、言ってしまった。
“言ってしまった感覚”だけが、遥の喉を締めつけていた。
(……言えない)
(あんなの……絶対、言えるわけねぇ)
そう思いながら、遥は壁に背を押しつけ、
声もなく、肩を震わせた。
どこにも届かない言葉たちが、胸の奥で、まだ燃えていた。