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教室の扉が静かに閉まる音とともに、昼休みのざわめきが戻ってくる。
「先生、ちょっと来てくれませんか? A君がまた……」
女子生徒が遠慮がちに手を挙げた。担任の教師、川上は書類に目を落としたまま顔だけ上げる。
「また? どうせ大したことないだろ。お昼休みくらい、こっちにも時間をくれ」
「でも……ほら、昨日のこととかもあったし……」
「昨日は“証拠”がなかったよな?」
女子生徒は口をつぐんだ。川上は淡々と、だが冷ややかに書類をめくる。
「今の時代、教師が下手に首突っ込むと問題になるんだよ。いじめとか、勝手な判断で“加害者扱い”なんてすれば、こっちが吊し上げを食う。……分かるよな?」
女子生徒はうなずくしかなかった。
廊下では、日下部が遥の腕を支えながら、必死に保健室まで運んでいた。背中には黒板消しを押しつけられた跡、制服のボタンは何かで切り取られ、ネクタイの代わりに“首輪”のような紐が無理やり巻かれている。
その姿を見ても、川上は目を逸らした。むしろ、書類を束ねながら静かに呟いた。
「……自業自得だ。あれだけ空気を乱せば、当然だろう」
彼の「中立」は、沈黙と不介入によって加担の形を取っていた。
だがその日、学年主任からの呼び出しで川上が席を外した隙に、教室は地獄の遊戯場になった。
黒板に書かれる「冤罪犯」「売春男」「共犯者・日下部」――。
机の中には使用済みのコンドームがねじ込まれ、遥の体操着には「加害の証拠」と書かれた紙切れが縫い付けられていた。
日下部はそれを見て、震える手で取り除こうとするが、周囲の笑い声とスマホのシャッター音がそれを阻む。
「消してくれ……やめてくれ……お願いだから……」
遥の声はか細く、泣き声と吐息が混ざっていた。
それでも、教室に教師の影は戻らなかった。
なぜなら――
「川上先生は“見てないこと”にしてくれるからさ」
蓮司がそう言って、笑ったのを、誰も否定できなかったから。
「これ、熱じゃないわね。過呼吸……に近い反応かしら」
保健室のベッドで、遥は顔を布団に埋めたまま微かに震えている。日下部が何度も話しかけるが、答えは返ってこない。
養護教諭の安藤は、しばらく様子を見てから、どこか事務的に口を開いた。
「ねえ、日下部くん。あなたのこと、私は信じてるつもり。でもね……この子の“何か”が、みんなを不安にさせてるって声も、確かにあるのよ」
「不安って……」
「たとえば、距離感とか。反応とか。“ちょっと違う子”って思われてしまう、そういう部分」
「それ、いじめの理由になんてならない……!」
日下部の声に、安藤は小さくため息をついた。
「あなた、担任の先生に相談した?」
「……した。何度も。でも“証拠がない”って言われて」
「そう……難しいわね」
そう言って、安藤はノートパソコンを開く。遥の出席記録を確認しながら、
「じゃあ今日の午後は“大事をとって”早退、ということで処理しておくわ。ね、遥くん?」
遥は微かにうなずいた。
「でも、明日はちゃんと来ましょうね。“逃げた”と思われたら、もっとつらくなるから」
優しい声だった。
けれど、それはまるで「もっと耐えなさい」と言っているかのようだった。