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窓が静かに閉まり、しばらくの間、家は再び夜の匂いだけをたたえていた。
やがて、玄関の鍵がわずかに鳴る音がして、木戸がきしむ。
暗がりの庭に、薄いパーカーを羽織った遥が現れた。
裸足のまま、芝生を踏みしめる音がやけに鮮明に響く。
「……寒くないのか」
日下部は問いながら、自分の声が必要以上に掠れていることに気づく。
「平気」
遥は短く答え、月明かりの下で立ち止まった。
沈黙が落ちる。
どちらも言葉を探しているのに、見つからない。
庭を渡る夜風が、木の葉をわずかに揺らす音だけが間を満たした。
日下部は、心の奥に刺さった蓮司の言葉を思い返していた。
――“毎晩みたいに”。
何度も頭の中で繰り返し、そのたびに胃の奥が冷える。
「……蓮司に聞いた」
やっと口を開いた声は、低くかすれていた。
遥のまぶたが一瞬だけ揺れる。
「何を」
「お前が……夜、どこに行ってるのか」
日下部の喉がからからに渇く。
「俺に、何も言わないまま」
遥は視線を外し、庭の隅を見つめた。
無言の時間が、ゆっくりと伸びていく。
答えの代わりに、薄い笑いが小さく漏れた。
それは諦めとも挑発ともつかない、痛みの色を帯びた笑いだった。
「……言ったって、どうせ分かんないだろ」
やっと絞り出した声は、かすれていた。
「分かるわけ、ない」
その言葉に、日下部の胸が焼けるように痛む。
守ろうとすることも、叱ることも、ただの独りよがりになる。
それでも、何も言わずにはいられなかった。
「分かるかどうかじゃない」
「俺は……聞きたいんだ」
遥は小さく息を呑み、ふっと目を伏せた。
その横顔に、今まで張りついていた薄い膜のようなものがわずかに揺らぐ。
夜風が髪をかすかに乱し、月明かりが白い頬を照らす。
「……勝手だな」
囁くような声。
「でも……ありがと」
日下部は何も言わず、ただその言葉を受け止めた。
その瞬間、張り詰めていた空気がかすかに緩み、
夜の庭は静かに二人を包み込んだ。