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昼休みの終わり、廊下の向こうに遥の姿を見つけた瞬間、日下部はほとんど反射で声をかけていた。


「……遥」


いつものように、びくりと肩が揺れるはずだった。

足を止め、怯え、こちらをうかがう――その一連の反応が、ここしばらく続いている“避けられている”サインだった。


だが、今日は違った。


遥は振り返らなかった。

足も止めなかった。

声が届いていないわけではない。

日下部の視線が背中に触れた瞬間、確かに一度だけまばたきをして、しかしそのまま真っ直ぐ教室へ歩いていった。


まるで、恐怖という感情だけが抜け落ちた人形のように。


日下部はその一瞬に、うすら寒い違和感を覚えた。


「……ちょっと待てよ」


早足で追う。

教室の前でようやく追いつき、手を伸ばす寸前で指先が止まる。

無理やり触れれば、それこそ本当に“追い詰める側”になってしまう気がしたからだ。


「遥、話――」


遥がこちらを振り返った。


その目には、怯えも反発も、拒絶すらなかった。

あるのはただ一面の空白。

水に沈んだ石のように、反応という反応が消えている。


「……あの、日下部」


声まで淡い。

呼吸の音に紛れそうなほど細いのに、どこにも震えがない。


「大丈夫。もう……平気だから」


その“平気”は、明らかに平気じゃない人間の口から漏れる、底の抜けた響きだった。


日下部の胸に、ぎゅっと冷たいものが刺さる。


(やばい……これ、こいつ……)


“避ける”ほうが、まだ良かった。

“怖がる”ほうが、まだ救いがあった。

今目の前に立っているのは、恐怖を上回る何かが心を押しつぶし、折れる直前の静けさをまとった遥だ。


「なぁ……ほんとに大丈夫か?」


日下部は、声を落として問う。

遥は首を横にも縦にも振らない。ただ、ぽつりと呟く。


「……迷惑、かけない」


その言葉の奥に、

“かけられない。かける資格がない。かけたら壊される”

そんな諦めが沈んでいた。


日下部は思わず一歩踏み出しそうになる。

けれど遥がそっと視線を落とした瞬間、その足は床に縫いつけられたように動かなかった。


(……違う。これ、逃げてるんじゃない。

もう、怖がる余力すら残ってねぇんだ)


遥は軽く頭を下げ、日下部と視線を合わせることなく教室へ消えた。

扉が閉まる、わずかな音。


一人残された日下部は、喉の奥がひどく乾いていくのを感じた。


「……折れる。あいつ、本当に折れかけてる」


自分の声が、こんなにも低く、震えていることに気づく。


颯馬の挑発、怜央菜の言葉、そして遥の沈黙。

全てが一つの点に向かって収束していく――嫌な確信が日下部の胸のど真ん中で鳴り始める。


放置すれば、もう戻れない。


その直感だけが、火のように強く日下部の背中を押した。


「……行動しなきゃ、ほんとに取り返しがつかなくなる」


呟いた瞬間、胸の奥で何かが決まった。


遥を追うのではなく、

颯馬に負けるのでもなく、

逃げるのでもなく――


“折れかけている遥を、このまま一人にしない”という行動が。



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