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相談室のドアは、今日は静かに閉まった。
相談者は椅子に座ってからもしばらく黙っていて、視線だけが机の端をなぞっていた。
「……昔はさ、楽しかったんだ」
ようやく口を開いた声は、どこか言い訳めいていた。
「音楽とか、絵とか、ゲームとか。別に将来の役に立つとか考えずに、ただ好きだった」
遥は相槌を打たず、続きを待った。
「でも最近、“それ何になるの?”って聞かれることが増えて。
学校でも、家でも。言われなくても、先に頭に浮かぶようになった」
相談者は小さく笑う。
「好きって言うたびにさ、“今だけでしょ”“暇だからでしょ”って、勝手に補足してる自分がいて。
なんか……好きって言葉が、だんだん言い訳みたいになってきた」
室内に、短い沈黙が落ちる。
「それ役に立つの?」
「将来どうするの?」
「いつまでやるの?」
相談者は、誰かの声を再生するみたいに言った。
「別に否定されてるわけじゃない。
でも、“続ける理由”をちゃんと説明できないと、いけない気がしてくる」
遥は机の上に置いたペンを、指で軽く転がした。
「説明できないと、ダメだと思う?」
相談者は少し考えてから、首を傾けた。
「……分からない。でも、説明できないものを大事にしてる自分が、子どもっぽく感じる」
「感情は、だいたい説明しにくい」
遥は静かに言った。
「説明できるように整えた時点で、別のものになることもある」
相談者は驚いたように顔を上げた。
「じゃあ、どうすればいいんだよ。
好きなままでいたら、現実から逃げてるみたいになる」
「好きなままでいることと、現実を見ることは両立する」
遥の声は低く、断定的だった。
「ただ、今は“将来の価値”で気持ちを測る場所に長くいすぎる」
相談者は息を吐いた。
「学校でも家でも、だいたい“結果”の話ばっかりだしな」
「だから、感情が居場所を失う」
遥は続けた。
「役に立つかどうかは、後で決まる。
でも、好きかどうかは、今しか分からない」
相談者は、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりとこぼす。
「好きって言うの、恥ずかしくなったんだよ。
本気にしてる自分を、否定される前に下げたくなる」
「それは、防衛だ」
遥はそう言った。
「壊されないために、先に価値を小さくする」
相談者は苦笑する。
「でも、それやってるとさ……
何が好きだったか、分からなくなってくる」
遥は一瞬だけ目を伏せたあと、言った。
「全部を取り戻そうとしなくていい。
好きだった、って思い出せるものを、一つだけ残せばいい」
「一つだけ?」
「それを、誰にも説明しなくていい場所に置く」
相談者はゆっくり頷いた。
「……それなら、できそうな気がする」
立ち上がるとき、相談者の背中は来たときより少し軽かった。
ドアが閉まり、室内に静けさが戻る。
遥は、何も書かれていないノートを見つめる。
役に立たない感情は、不要なんじゃない。
ただ、評価される場所に出されすぎているだけだ。