テラーノベル
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放課後の教室は、窓を閉め忘れたせいで少し寒かった。相談スペースに座った女子生徒は、鞄を膝の上に置いたまま、手を離さない。
「……友だちに、言われたんです」
声は小さいが、はっきりしていた。
「“死にたい”って」
遥は、反応を急がない。
机の上の木目を見つめたまま、続きを待つ。
「冗談っぽく、じゃなくて。
夜、メッセージで。
長いやつ」
女子生徒は、喉を鳴らした。
「何て返せばいいか分からなくて。
既読をつけたまま、画面を見てました」
その沈黙の時間が、教室に落ちる。
「“大丈夫だよ”って言うのは違う気がしたし。
“死なないで”って言うのも、
なんか……責任を背負うみたいで」
遥は、ゆっくり頷いた。
「重かったな」
女子生徒の指が、鞄の持ち手を強く掴む。
「それで、
“今は一人じゃないよ”って送りました。
正しいか分からないけど」
「その後は」
「……返事は来ました。
でも、それっきりです」
女子生徒は俯く。
「それからずっと、
頭から離れないんです。
あの言葉」
“死にたい”。
口に出さずとも、空気が固まる。
「もし、あの時もっと違う言葉を送ってたら。
もし、私が見落としてたら。
もし……」
遥は、そこで静かに遮った。
「なあ」
女子生徒が顔を上げる。
「“言われた側”ってのはな、
一瞬で役割を背負わされる」
遥の声は低い。
「守る人。
つなぎ止める人。
間違えちゃいけない人」
女子生徒の目が、揺れた。
「私、
そんな役、できないです」
「できなくていい」
遥は即答した。
「最初から、向いてない」
女子生徒は驚いたように目を見開く。
「それは、大人の役割だ。
専門家の仕事だ。
同級生が一人で背負うもんじゃない」
「でも……」
女子生徒の声が震える。
「言われちゃったら、もう……」
「そうだな」
遥は否定しない。
「言われた瞬間から、
知らなかった頃には戻れない」
少し間を置く。
「だから、重い」
教室の外で、誰かの笑い声が響き、遠ざかる。
「でもな」
遥は続ける。
「“言われた側”が壊れる必要はない」
女子生徒は、息を詰めたまま聞いている。
「一番大事なのは、
“一人で抱えない”って判断だ」
「誰かに言う、ってことですか」
「そうだ」
遥は短く答える。
「本人の秘密を暴くんじゃない。
“自分が受け止めきれない”って事実を、
大人に渡す」
女子生徒は唇を噛んだ。
「それって……裏切りじゃないですか」
「違う」
遥の声ははっきりしていた。
「投げ返すんだ」
「投げ返す」
「重すぎる荷物は、
手渡ししないと落ちる」
女子生徒の肩が、少し下がった。
「私、
その後ずっと、
自分がちゃんと返せなかったんじゃないかって……」
「返しただろ」
遥は静かに言う。
「その場で、考えて、言葉を選んで」
女子生徒は黙った。
「それ以上を求めるのは、結果論だ」
窓の外は、もう暗い。
「“死にたい”って言葉を受け取った人はな」
遥は最後に言う。
「生きてるだけで、もう十分やってる」
女子生徒は、ゆっくり息を吐いた。
鞄を掴む手の力が、少し緩む。
扉が閉まる音がして、教室に静けさが戻る。
遥は一人、机の影を見つめた。
「……救えなかった、じゃない。
渡された重さを、落とさなかった」
そう呟いて、次の来訪者を待った。
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