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放課後の廊下には、まだ人の気配が残っていた。
けれどこの教室だけ、時間が一段遅れているみたいに静かだった。
机を二つ寄せた即席の相談スペース。
そこに座る生徒は、椅子の縁を指先で何度もなぞっていた。
剥がれかけた木目を、削るように。
「……一人になると、不安になるんです」
声は小さかった。
言葉にする前に、何度も飲み込んだ音が混じっている。
「誰かと一緒にいないと、落ち着かなくて。
友達がいれば大丈夫なのに、
帰り道とか、夜とか、ひとりになると……
胸が、ぎゅってなって」
遥は、窓際に落ちた夕方の光を眺めていた。
机の端まで伸びたオレンジ色が、少しずつ細くなっていく。
「その友達が、いないと?」
「……はい」
生徒はうなずいたあと、慌てて言葉を足す。
「嫌な人とかじゃないです。
むしろ、すごく優しくて。
だから……離れたら、全部なくなる気がして」
遥は、すぐには答えなかった。
ペンを一本、机の上で転がす。
カラカラ、という音が静かに響く。
「なあ」
ようやく口を開く。
「“一緒じゃないと不安”ってさ、
相手が好きだから、だけじゃない時もある」
生徒は、少し驚いたように顔を上げた。
「一緒にいる間は、自分がちゃんと“ここにいる”って思えるんだろ」
「……はい」
「でも離れると、その感覚が消える。
自分が薄くなる感じがする」
生徒は、何も言わずにうなずいた。
図星だった、という沈黙。
「それ、弱さじゃない」
遥は、光の消えかけた机を見つめたまま続ける。
「たぶん、お前は今まで
一人でいる時間に、安心したことが少なかったんだ」
教室の外で、誰かが笑う声がした。
それが、遠くて、別の世界の音みたいに聞こえる。
「だから、“誰かと一緒”が居場所になった。
それ自体は、悪くない」
「……でも」
生徒の声が揺れる。
「その人がいなくなったら、って考えると……怖くて。
重いって思われますよね、こういうの」
遥は、短く息を吐いた。
「重いかどうかは、相手が決めることだ」
「……」
「でもな。
お前が“一緒じゃないと不安”なのは、
誰かに寄りかかってるからじゃない」
生徒が顔を上げる。
「一人で立つ場所を、まだ持ってないだけだ」
その言葉は、突き放すようでいて、静かだった。
「無理に離れなくていい。
無理に強くならなくていい。
ただ、“一緒にいない時間も生きてる自分”を少しずつ作っていけばいい」
「……どうやって?」
「ほんの少しでいい」
遥は指で円を描く。
「一人で帰る日を作るとか。
誰にも話さない好きなものを持つとか。
“この時間は自分だけのもの”ってやつを」
生徒は、考え込むように視線を落とした。
「依存、なんでしょうか……」
「名前をつけると、楽になる時もある」
遥は言った。
「でも、今のお前に必要なのは
診断じゃない」
ペンを止めて、まっすぐ相手を見る。
「不安になるほど、誰かを失いたくないって思えたこと。
それ自体は、ちゃんと人を大事にしてる証拠だ」
生徒の目が、少し潤んだ。
「……一人でも、大丈夫になれますか」
「なるよ」
遥は即答した。
「ただし、“平気”にはならない。
不安は残る。
でも、“不安でも生きていい”って思えるようになる」
生徒は、ゆっくりと息を吸って、吐いた。
張り詰めていた肩が、少しだけ下がる。
「……ありがとうございました」
遥は視線を窓に戻す。
「不安になる自分を、ちゃんと連れてきた。
それだけで、今日は十分だ」
夕日が沈みきり、教室に夜が落ちた。
生徒は立ち上がり、軽く頭を下げて出ていく。
一人残された遥は、しばらく動かなかった。
自分の胸元に手を当て、小さく呟く。
「……一緒じゃないと不安になるのは、
誰かを必要としたことがある人間だけだ」
窓の外、街の明かりが一つ、また一つ灯る。
遥はその光を眺めながら、
次に来る“不安”を抱えた誰かを、静かに待っていた。