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それから数年がたち、私は同じ県内にある大学に進学することになった。実家からの通学は距離的に難しかったため、地元を離れて一人暮らしをすることが決まっていたが、引っ越し間際になって母とひと悶着あった。一人暮らしになることは、志望する大学を決め、受験することを決めた時点で、両親もすでに分かっていたはずだった。ところが、私が一人になることを心配し続けていた母が一緒に住むと言い出したのだ。
母はもともと私を地元の短大に自宅から通わせたがっていた。
しかし私が行きたい大学は同じ県内ではあったが、遠方にあった。そして実は密かに私は、この機会に家を出てみたいと思っていた。一人娘ということで、両親が私を手元に置きたがっていることは分かっていたが、いずれ戻って来るにしても、敷かれたレールの上をただこのまま歩くだけなのは嫌だったからだ。
私は母を説得した。私の独立心を理解してくれていた父も、私と一緒になって母の不安を和らげようとしてくれた。最終的に渋々ながらも母が折れたのは、私が住むことになる街にいとこと幼馴染たちがいるからだった。
凛は社会人、私と同じ大学に入学する栞は他大学の医学部に通う諒と一緒に住むことになっている。信頼のおける彼らがすぐ近くにいることを強調してようやく、母は一緒に住むことを諦めてくれたのだった。
なんだかんだとありはしたが、私の引っ越しは無事に終わり、大学生活はスムーズにスタートした。人間関係においては友達もできたし、高校とは違う学び方に初めは戸惑ったものの、新しい知識が増えるのが楽しかった。
新しい街に住み始めておよそ一か月、大学生活に慣れつつあったある日、栞が遊びに来た。アルバイトもサークル活動もしていない私は、大学が終わった後はまっすぐ自分の部屋に帰るという単調と言えば単調な毎日を送っていたから、栞の訪問はとても嬉しかった。
「瑞月は、アルバイトもサークルもやっていないんだよね?私はね、最近サークルに入ったの。そのうち、バイトも何かやってみようかなと思ってるところなんだ」
「私も、せめてサークルくらいは入ってみようかなぁ。アルバイトも興味あるけど、お母さんがそれはだめだって言うのよね。社会経験として必要だと思うのに、一体何を想像してか、危険だって言うの。もしもやるのなら、一人暮らしは認めない、一緒に住む、とか言うんだから。――うちのお母さん、どうしてあんなに心配性なんだろう。電話とかメッセージも毎日必ず送って来るのよ。私、そんなに信用ないのかな」
「そういうわけじゃないでしょ。本当に瑞月のことが心配だからよ」
栞は慰めるようによしよしと言いながら、私の頭を撫でる。それからひと呼吸ほど置き、言いにくそうな顔をして口を開いた。
「実は、そんな瑞月に折り入って相談があるんだ」
「相談?」
「瑞月って料理が上手でしょ?ほんとに時々でいいから、私たちに晩ご飯作ったりしてくれないかぁ、なんて思って……。図々しいお願いだってことは、もちろん分かってるよ。だけどお恥ずかしい話、あたしたちの食卓事情、実はかなり切迫してるんだよね。お兄ちゃんは料理しないし、したとしても、いかにも男の料理で大雑把すぎるし、瑞月も知っての通り私も下手だしさ。毎日パンとお惣菜、お弁当ってわけにはいかないし、美味しくない料理ばっかりじゃ、味覚だって変になっちゃう。バイト代の代わりと言ったらなんだけど、材料はもちろん全部うちで買うから。……だめ?」
栞は上目遣いで私の表情を伺っている。その両手は、私を拝むかの如く胸の前で合わされていた。
「それは構わないけど……」
一つの疑問が浮かび、私は首を捻る。
「諒ちゃんは今までどうしてたの?」
「学食とかお弁当、たまの男飯、あとは凛ちゃんとご飯一緒にしたりして、なんとかしてたみたい」
「凛ちゃんか。なるほど」
栞の答えに納得して私は言った。
「これからも、たまに凛ちゃんにお願いするのは難しいの?栞と凛ちゃんだって、知らない仲じゃないし」
嫌だと思ったわけではない。本当は行きたい気持ちが強かったが、凛がいるのなら私の出る幕はさそうだと思ったのだ。
すると栞は微笑んだ。
「実は凛ちゃん、最近いい人ができたみたいなの。だから遠慮した方がいいのかな、ってお兄ちゃんと話してたのよ」
栞も凛の恋愛事情を知っている。
「そうだったの?全然知らなかった。凛ちゃんたら、私にも教えてくれたらいいのに」
「私も本当に最近、聞いたばかりよ。お兄ちゃん経由でね。そのうち瑞月にも話すんじゃないかな」
「分かった。大人しく報告を待つことにする」
「うん。そうして。――それでさ、最初の話に戻るんだけど。どうかな?だめ?」
「だめってことはないけど、私、そんなにすごいものは作れないよ?」
栞の目がぱっと輝いた。
「そんなことないよ!絶対に私たちよりも上手だもの。それに、瑞月も一人でご飯食べて、学校に行くだけじゃつまらなくない?おばさんたちだって、普段から私たちと一緒にいるって分かればもっと安心するはず。ずっとじゃなくて、少しの間だけ、たまにでいいから、どうかお願いします!」
回りくどい誘い方だが、これは栞の気遣いだと察した。一人暮らしで私が寂しがっているのではないかと思ったのだろう。確かに正直に言えば、一人ぼっちの食事は静かすぎて寂しい。
「迷惑じゃなければ行きたい。お邪魔してもいい?」
「迷惑とか邪魔とか、そんなわけないでしょ?ぜひ来て!いつから来る?なんなら、週末はうちに泊まっていってよ。パジャマパーティしよう。二人で、だけどね」
栞がワクワクした様子を見せる一方で、私は戸惑う。
「泊まるのはちょっと……。諒ちゃんがいるでしょ?」
兄のような存在とはいえ、諒は異性だ。泊まるのは栞の部屋になるだろうが、両親に知られたらまずいような気がした。
けれど栞はあっさりと言った。
「お兄ちゃんのことは、気にしなくて大丈夫だよ。泊まるのは私の部屋だし、必要なら鍵だってかけられるよ。それ以前に、お兄ちゃんはご飯を食べてお風呂に入った後は部屋に引きこもっちゃって、朝まで出てこないの。それにさ、一から十までのすべて、おばさんたちに報告しなきゃいけないわけでもないでしょ?瑞月は真面目過ぎるのよ」
「真面目過ぎるってことはないけど……」
栞の言葉に苦笑しながら考え、納得する。諒を相手に何かが起こるとはまったく思えないし、両親に事細かにすべてを話す必要も確かにない。
「そうよね。それなら、本当に時々栞の部屋に泊まっちゃおうかな。栞もうちに来てね。お布団はお母さんが来た時用のがあるんだ」
「もちろん行くよ。泊まりっこしよう。なんだか、昔を思い出すねぇ。ということで、第一回目は早速次の週末ってことでいいよね?」
「うん。その日は何を作ろうか?そうだ。この機会に栞も料理の練習しようよ。教えてあげる」
「それはぼちぼち……」
にっと笑って提案する私に栞は曖昧な笑みを返した。