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安全な場所、というものは案外あっけなく用意される。
教室の中央。
人の出入りが多く、視線が行き交う場所。
誰かの隣に座っていれば、それだけで“対象から外れる”。
日下部は、気づけばいつも蓮司の近くにいた。
意識して選んだわけじゃない。
呼ばれれば行くし、話しかけられれば応じる。
それだけのことなのに、不思議と周囲の視線が変わる。
「日下部、今日は一緒に食う?」
「ああ」
昼休み、そんなやり取りが当たり前になる。
遥の席は、相変わらず奥だ。
ここ数日は来ている。
来てはいるが、誰とも話さない。
――声をかけない方がいい。
そう判断する理由は、もう考えなくなっていた。
考えれば揺らぐ。
だから、“空気に沿う”という形を選ぶ。
「お前さ」
蓮司が、弁当の蓋を開けながら言う。
「下手に関わると、逆に悪化することあるから」
淡々とした声。
経験談でも、一般論でもあるような言い方。
「今の状況、あいつにはちょっと重いだろ」
“あいつ”
名前は出されない。
それでも、指しているのが誰かははっきりしている。
日下部の胸が、一瞬だけ軋んだ。
――重いのは、状況だ。
――遥自身じゃない。
そう言いたかった。
けれど、言葉にした瞬間、
“空気を読めていない人間”になる気がして、口を閉じる。
周囲では、笑い声が上がる。
他愛ない話題。
誰も、あの階段裏のことを口にしない。
触れないことが、処理の仕方になっている。
放課後。
廊下で、遥とすれ違った。
一瞬だけ、目が合う。
その目には、責める色はなかった。
驚きと、戸惑いと、
それでも何かを言おうとした痕跡。
日下部は、反射的に視線を逸らした。
――今じゃない。
理由はそれだけ。
だが、その“今じゃない”は、
いつまで経っても来ない。
背後で、蓮司の声がする。
「……気にすんな」
振り返ると、すぐ横にいた。
「変に目立たない方が、今は得策」
得策。
その言葉に、安心が混じる。
実際、日下部は何もされない。
絡まれない。
からかわれもしない。
安全圏だ。
けれど、その安全は、
誰かが“外側”にいることで成り立っている。
翌日。
遥が呼び出されているのを、偶然見た。
階段の影。
視線の届かない位置。
胸がざわつく。
足が、そちらへ向きかける。
「やめとけ」
蓮司の声は、低く、短い。
「見ない方がいい」
その言い方は、制止だった。
でも同時に、
“守ってやっている”ようでもあった。
日下部は、立ち止まる。
結局、何も起きなかったように教室へ戻る。
戻れてしまう。
それが、一番怖かった。
――自分は、助けられる位置にいる。
――でも、それは自分で選んだ場所じゃない。
頭のどこかで、そう思いながら、
蓮司の隣に座る。
遥の席は、今日も静かだ。
誰も殴っていない。
誰も命令していない。
それでも世界は、はっきりと分かれていく。
守られた場所と、
守られない場所に。
日下部は、その境界線の内側にいる。
そのことが、
じわじわと胸を締めつけていくのを、
まだ“正解の副作用”だと思い込もうとしていた。