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照明チェックが終わったスタジオは、まだ機材の熱が残っていた。

泉はメイク台の前に座ったまま、膝に置いた手を握ったり開いたりして落ち着かない。

今日の撮影はテストカットだけ——のはずだった。


「泉」


背後から呼ばれる。

柳瀬の声は、低いのに妙に響いて、距離が掴めない。


「本番の前に、ちょっとだけ……“反応”を見せてもらいたいんだけど」


“反応”という言葉だけが、熱を帯びて泉の背中に落ちた。


「は、反応……ですか」


「うん。三つだけ。声と、息と——指先」


柳瀬が、泉の正面に立つ。

いつもより近い。30cmもない。

照明に照らされた黒い瞳がこちらをまっすぐ捉え、逃げ場を閉じていた。


「声、息、指先……?」


「そう。俳優って、表情だけじゃ足りないから」


柳瀬は、淡々と説明しているようでいて、視線だけは静かに泉を追っていた。


「まず、声。驚いたとき、小さくなる人と、逆に漏れる人がいる。泉は……どっちかな」


言いながら、耳の横で指を鳴らす。

反射的に肩が跳ね、泉の喉からかすれた息がこぼれた。


「……あ、っ」


「なるほど。小さく漏れるタイプね」


楽しげでもからかうでもなく——ただ“確認”している声。

それが余計に逃げ場を奪う。


「つぎ、息。撮られるとき、どんなふうに乱れるか」


柳瀬が、泉の顔の高さに合わせて腰を落とす。

息が触れそうな距離。

泉は思わず後ずさろうとして、背もたれにぶつかった。


「逃げなくていいよ。怖くない」


「こ、怖いわけじゃ……」


「じゃあ、動かないで」


命令ではなく、選択肢を奪う言い方。

柳瀬はゆっくりと、泉の頬の近くに手を上げる。触れない。

ただ、その影が肌に落ちただけで、泉の呼吸が揺れた。


「——ほら、乱れる」


囁くような声。

計測されているようで、息が余計に浅くなる。


「さいご、指先」


柳瀬の視線が、泉の膝の上の手に落ちる。


「緊張すると動くのか、それとも固まるのか」


ゆっくり近づけられた指が、泉の手に触れる直前で止まる。

触れられていないのに、泉の指先はわずかに震えた。


「……動くタイプ、ね。わかりやすい」


柳瀬はそう言ってから、一歩だけ引いた。

距離はできたはずなのに、胸の奥はぜんぜん離れてくれない。


「泉」


呼ばれるたびに、体のどこかが跳ねる。


「拒否するなら、今言っていいよ。いやなら、やらない」


言い方は優しい。

でも、その優しさに逃げ道はない。


泉は、言うべき言葉を探して唇を噛んだ。

「嫌だ」と否定すればいいのに、喉がそれを拒む。


「……だ、大丈夫です。続けていい、です」


その瞬間、柳瀬の目が少しだけ細くなる。

安心ではなく、確認が一致した時の、仕事人の表情。


「了解。じゃあ、本番はもっと近づくから」


“もっと”という言葉が、背骨を撫でて落ちていく。


そして泉は、このテストだけで身体の奥が落ち着かなくなっている自分に気づき、

その事実こそがいちばん拒絶できずにいた。



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