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撮影本番。
白背景のスタジオに、ライティングの熱がじわりと広がる。
泉は衣装チェンジを終え、マークの上に立った。
視線のやり場が定まらないまま、胸の奥だけがざわついている。
原因は分かっていた。
——さっきの“反応チェック”だ。
距離も触れられもしていないのに、身体がまだ覚えている。
「泉」
呼ばれた瞬間、背筋に冷たい電流が走る。
振り返ると、カメラを構えた柳瀬がいた。
マネージャーでありながら、今日は“撮影担当”も兼任している。
誰よりも泉の長所を把握しているから、という理由で。
「スタート位置、少し右。……そう」
柳瀬の声はプロそのものだった。
無駄がなく、温度も一定で、個人的な感情を感じさせない。
けれど、その視線だけは別だ。
カメラの奥から、泉だけを見ている。
「視線、外に向けて。こっちじゃない」
言われて、泉は指示通りに横を向く。
なのに——柳瀬の立ち位置がゆっくり変わり、
結局、どこを向いても柳瀬の視界から逃げられない。
「もっと……そっちじゃないよ、泉。顔、上げて」
優しい声なのに、逃げ道を封じる位置取り。
まるで“外を向け”と言いながら、
実際には“こちらを向かせるための構図”ができ上がる。
「こっちを見るな」と言っておきながら、
視線を逸らせない状況へ追い込む。
その矛盾に気づいた瞬間、泉の心拍が跳ねた。
「……柳瀬さん、俺……」
「話さないで。口元の形が変わる」
言葉をふさぐように、
柳瀬はシャッターを切り続ける。
冷静で、プロフェッショナルで、完璧。
だが、泉がほんのわずかに目を上げて柳瀬の瞳と重ねた瞬間、
シャッター音の間隔が——わずかに、変わった。
速くなった。
気のせいかもしれない。
でも、泉は確かに“見られている”と感じた。
被写体ではなく、
俳優でもなく、
——泉個人として。
「息、止めないで。固まると顔が死ぬ」
柳瀬の声は一定なのに、
その奥に何かが熱を帯びている気がして、泉は慌てて呼吸を整える。
「そう。……今の目、いい」
褒められたわけでもないのに、
身体の芯がじんと熱くなる。
柳瀬の視線が、それを確認している気がして、余計に乱れる。
「動かないで」
命令は短く、鋭く。
泉の体を縛る。
シャッター音が、静かなスタジオに規則正しく響く。
けれど、その合間に混じるわずかな吐息の揺れ。
誰のものか分からないのに、泉の胸がざわつく。
「——目、逸らすな」
とうとう直接命じられた。
言葉と、構図と、距離と、光。
その全てが泉を“柳瀬だけの視界”に閉じ込めてくる。
泉は抗えなくて、
抗いたいのに、
抗う理由も分からなくなって、
ただまっすぐ柳瀬を見返してしまう。
撮影が終わった瞬間、足の力が抜けた。
しかし、柳瀬はカメラを下ろしながら、いつもの冷静な表情に戻っていた。
「……悪くなかったよ。泉」
「…………」
「次はもう少し踏み込むから」
“踏み込む”の意味を聞きたかった。
だが喉が動かず、泉はただ小さく息を呑んだ。
柳瀬は、それだけで十分と言わんばかりに目を細めて、
「本番、これからだよ」
その言葉が、
撮影以上に、泉の奥を揺らした。