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最初に気づいたのは、空気だった。
教室に入った瞬間、会話が一拍だけ遅れて再開される。
誰かが、スマホを伏せる。
誰かが、口元を押さえて笑う。
――来た。
遥は、もう分かっていた。
何が来たのかを、確認する必要はなかった。
昼休み。
背後の席から、音が漏れた。
『……んっ』
『……っ、あ……』
ほんの一瞬。
でも、確かに「自分のものだ」と分かる断片。
意味のない、抑えきれなかった反応。
言葉になる前に零れた、呼吸の乱れ。
それを聞いた瞬間、
遥の体が、勝手に縮こまる。
(やめて)
声にはならない。
声にしたら、それもまた“素材”になる。
「これさ、やばくね?」
「声、思ったより――」
最後まで言わせないために、誰かが笑う。
笑いが、会話の続きを潰す。
遥は机に視線を落とす。
耳を塞ぎたいのに、手が動かない。
聞いているのは、今の音じゃない。
“あの時の自分”が、教室に再生されている。
必死に出さないようにした声。
勝手に反応してしまった体。
それが、「本人の意思」みたいに扱われる。
(違う)
違う。
あれは、同意じゃない。
でも、そう説明する言葉を、遥は持っていない。
スマホが回る。
画面を伏せたまま、手から手へ。
誰も、遥を見ない。
見なくても、もう“知っている”から。
廊下に出ると、知らないクラスの生徒がいた。
目が合う。
一瞬、理解した顔になる。
その視線だけで、足が止まる。
――ここまで来た。
映像や音声は、
遥の体を縛るものじゃない。
遥の“逃げ場”を消すための道具だ。
どこに行っても、
「聞いた」「見た」人間がいる。
遥は、自分の声を思い出そうとする。
普通に話すときの、自分の声。
でも、頭に浮かぶのは、
あの断片だけだった。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
息を吸うたび、
“自分が自分じゃなくなる”感じがする。
――まだ生きている。
でも、もう自分のものじゃない部分が増えすぎていた。