テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
100
校舎に、噂が染みついていた。
朝、下駄箱の前を通るだけで、ひそひそと声が落ちてくる。
わざと大きめに、遥に届く高さで。
「また来てる」
「よく平気だよね」
「見た? あの腕」
「汚……」
笑い声。
誰かが咳払いをするふりをして、鼻を押さえる仕草をする。
遥は何も言わず、靴を履き替える。
その背中に、視線が突き刺さる。
教室へ向かう廊下。
すれ違いざま、肩がぶつかる。
わざとだ。
「邪魔」
「避けろよ」
「臭いの移る」
謝らない。
今日は、まだ、言わない。
一時間目が終わる頃には、校舎全体が出来上がっていた。
誰が合図したわけでもない。
ただ、“今日は遥の日だ”という空気だけが、自然に広がっていく。
二時間目の移動中、階段の踊り場で、囲まれる。
男子が数人。
その後ろに、女子。
スマホを構えたままの顔もある。
「ほら、脱げ」
遥の袖を引っ張る手。
抵抗すると、もう一方から腹に拳が入る。
「見せろって言ってんだろ」
シャツの下、腕、首元。
古い痣、新しい傷。
盛り上がった皮膚。消えきらない跡。
「うわ」
「キモ」
「なにそれ」
「人間?」
女子の声が、一番鋭い。
「汚い」
「触りたくない」
「病気じゃないの?」
遥の視界が揺れる。
足が一歩、後ろに下がる。
その瞬間、首に腕が回る。
締まる。
空気が、急に細くなる。
「逃げんなよ」
「まだだろ」
誰かが言う。
「殴れよ、遥も」
目の前に、同級生の顔。
殴られるのを待つような、楽しそうな顔。
「ほら」
「やり返せば許してやる」
遥の手が震える。
殴らない。
殴れない。
次の瞬間、頬に衝撃。
倒れかけた体を、別の手が支える。
倒さない。
逃がさない。
腹。
背中。
脚。
蹴る。
殴る。
「声出せよ」
「いつもみたいに黙ってんな」
遥の喉から、声がこぼれる。
「……ごめん。ごめんなさい。やめて……ごめん……」
そのたび、笑いが大きくなる。
「ほら、言えるじゃん」
「気持ち悪い声」
「女みたい」
女子が近づく。
覗き込む。
「その傷、全部自業自得でしょ」
「可哀想アピール?」
「同情されたいの?」
誰かがスマホを振る。
フラッシュ。
「拡散しよ」
「校舎全部に」
遥は、床に膝をつく。
首から手が離れる。
息を吸おうとして、むせる。
その様子を見下ろしながら、誰かが言う。
「次は、もっとちゃんとやろうぜ」
「今日はまだ軽いだろ」
チャイムが鳴る。
人は散る。
何もなかったみたいに。
廊下には、まだ声だけが残る。
「汚い」
「存在が無理」
「生きてる意味ある?」
遥は、立ち上がれない。
でも、泣かない。
ただ、次が来ることだけは、分かっている。
コメント
1件
読み終えました……。この空気感、ものすごくリアルで胸が締め付けられました。「今日は遥の日だ」という空気が自然に広がる怖さ、誰も止めない同調圧力、そして遥が「泣かない」で耐えるラスト。ここに至るまでの傷の描写と、周囲が加点法で残酷になっていく様が生々しくて、読んでて息が苦しかったです。連載中の第22話、これからどうなるんでしょう……遥の視点がどこかで反転する瞬間が来るのか、気になって仕方ないです。