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その朝、遥はポケットの中を三度も確認した。指先が触れたのは、十円玉が二枚。合計二十円。
深夜、何度も計算した結果と同じだった──今日は、絶望的に足りない。
購買のパンは一つ百五十円、ジュースは百二十円。女子の「ついでに」で百円、男子の悪ノリでホットスナックを頼まれれば二百円台が飛ぶ。
教室に向かう足音は、いつもより慎重だった。歩幅を少し狭めても、息をひそめても、金が増えるわけじゃないのに。
ただ──見つからなければ、時間稼ぎくらいはできる。
しかし、教室のドアを開けた瞬間、期待は消えた。
女子三人がこちらを振り返り、その中心のリーダー格・美桜がニヤリと笑った。
「おはよ、遥。……今日も、お願いね?」
その「お願い」に選択肢が存在しないことを、遥はよく知っている。
そして最悪なことに、男子の一人がこう付け足した。
「今日は動画も撮るからさ、ちゃんと急いでこいよ。逃げんなよ?」
その一言で、遥の喉の奥がひきつった。
金欠のことがバレたら終わる。
いや、終わるどころじゃなく、終わりの先の地獄みたいな扱いが待っている。
だが、今はいつものように黙って頷くしかない。
チャイムが鳴る少し前、美桜が席に近づいてきた。髪を揺らしながら、机に指先をトントンと叩く。
「じゃ、リストね。パン二つと、午後の分のカフェオレ。あと、今日の放課後ちょっと“手伝い”あるから、逃げないでよ?」
“手伝い”が、どれだけ屈辱的な意味を含むのか、遥の身体はもう覚えている。
「……うん」
声はかすれた。頷いた瞬間、胸の奥が痛む。
本当は「無理だ」と言いたい。けれど、それを言ったときに何が起きるか、想像するだけで足がすくむ。
そして休み時間。
購買へ向かう途中、遥は教室の後ろで男子三人に呼び止められた。
「なぁ遥、今日はアレも買ってきてよ。ホットスナック三つ。動画回すからさ、“奴隷感”ちゃんと出してくれよ?」
「……」
「おーい、聞こえてんだろ? “了解しました”だろ?」
喉がひりつく。
言葉を出したくないのに、沈黙すればさらにひどくなるのが分かる。
「……了解、しました」
「ははっ、声ちっさ! マジで使えるわ、こいつ」
男子たちは笑って去っていく。
遥は、ポケットの奥に隠していた二十円を握りしめた。
(どうしよう……買えない……)
購買の前まで来たが、列に並ぶことすらできなかった。
買えないものを買いに行く──それはただの“時間稼ぎ”にしかならない。そして戻れば、すぐバレる。
遥は校舎裏へ回り込み、しばらく動けなかった。
喉の奥が苦しくて、呼吸が細くなる。
(どうしよう……誰かに借りるなんて……できない……)
次のチャイムが鳴る頃、覚悟を決めた。
嘘をつくしかない。
教室に戻ると、男子たちがすでにスマホを構えて待っていた。
「おっ、戻ってきた! ほら、袋は?」
「……売り切れてて……」
言った瞬間、空気が歪んだ。
美桜がゆっくり立ち上がり、遥に歩み寄る。
「へぇ。売り切れ、ねぇ。……今日のパン、並ばなくても買える日なのに?」
「……」
「嘘つくのだけは、ほんっと下手だよね、遥って」
耳元に顔を寄せてささやく。
「“買えなかったんじゃなくて、金がなかった”でしょ?」
心臓が跳ねた。
なぜ分かったのか──その理由を考えるより早く、女子の笑い声が周囲で弾ける。
「うそ、ガチでお金なかったの? やば……」
「え、じゃあ今までのも? あんた、どんな生活してんの?」
「てかさ、金ない癖に逃げんなよ。“役割”わかってるでしょ?」
男子のスマホが一斉に向けられる。
「なぁ遥。“金がありませんでした”って言ってみろよ。ちゃんと。ほら、動画回ってるからさ」
拒否すれば暴力が来る。
沈黙すればそれもまた制裁になる。
喉が震え、声にならない息だけが漏れる。
「……か……」
「聞こえなーい。もっとはっきり。ほら、“奴隷”なんだから」
美桜が髪をつかんで顔を上げさせる。
「言えるよね?」
逃げ道はなかった。
「……お金……ありませんでした……」
その瞬間、男子の笑い声とシャッター音が重なり、女子の嘲笑が降り注いだ。
遥の手は小刻みに震え、制服の袖を握りしめる。
胸の奥で、何かがひどく潰れる音がした。