テラーノベル
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事件が終わってから、数日が過ぎた。探偵社はいつも通りだった。
新しい依頼が入り、電話が鳴り、燈が文句を言い、真琴がそれをなだめる。
特別な変化はない。
ただ、澪だけが、少しだけ違った。
事務室の奥、資料棚の前に立つ時間が増えた。
整理されたファイルの背表紙を、指でなぞる。
裁判記録が薄かった事件。
証言が揃いすぎていた件。
被害者がいないとされた出来事。
最初から犯人が名乗り出ていた案件。
どれも、すでに解決済みだ。
依頼人は納得し、探偵社としての仕事は終わっている。
――なのに。
澪は、一つずつファイルを引き抜いては、机に並べた。
時系列順。
事件の性質別。
関係者の立場。
何通りか試して、最後に、伊藤が作った分類に戻る。
「……やっぱり、ここが一番きれい」
独り言だった。
余計な情報がない。
判断に迷う要素が、きれいに削られている。
「澪、何してるの?」
玲が、後ろから声をかけた。
「過去の事件、見返してる」
「今さら?」
「うん。今さら」
澪は、並べたファイルを指差す。
「全部、説明としては成立してる。でも、説明のされ方が同じ」
玲は、黙って隣に来た。
「同じ、というと?」
「要点だけ残して、あとは切り落としてる。感情とか、衝突とか、判断に揺れが出そうな部分」
玲は、しばらく考えたあと、言った。
「それって、記録としては優秀じゃない?」
「そう」
澪は頷く。
「だから、誰も疑わなかった」
玲は、そこで言葉を止めた。
否定しない。
だが、肯定もしない。
「偶然、って可能性は?」
「ある」
澪は即答した。
「でも、偶然にしては、回数が多い」
そのとき、事務室のドアが開いた。
伊藤だった。
手には、いつものように資料の束。
「何だ、揃ってるな」
軽い調子だ。
「過去の事件、確認してた」
澪は、視線を逸らさずに言った。
「ふうん」
伊藤は、机に資料を置く。
「問題あったか?」
「問題はない」
澪は言う。
「全部、ちゃんと解決してる」
「だろ」
伊藤は、椅子に腰を下ろした。
「なら、それでいい」
玲が、伊藤を見る。
「伊藤さん、前から思ってたんだけど。
これらの事件、関わり方が全部似てる」
伊藤は、首を傾げた。
「俺の?」
「うん」
玲は淡々と言う。
「最初から最後まで、要点を整理して、判断を助ける役」
伊藤は、少し笑った。
「事務向きだからな」
「でも」
澪が続ける。
「探偵社に来る前から、似たことしてたよね」
一瞬だけ、空気が止まった。
伊藤は、否定しなかった。
「まあ、前の仕事でもな」
「前の仕事って?」
燈が、奥から顔を出す。
「資料整理だよ」
伊藤は簡単に言った。
「事件関係の」
「へえ」
燈は深く考えない。
真琴が、ゆっくり口を開く。
「伊藤さんは、事実をまとめるのが上手い。それで助かってる」
伊藤は、肩をすくめた。
「事実は、そのままだと扱いづらい。整理すれば、皆が楽になる」
「でも」
澪は、静かに言った。
「整理すると、消えるものもある」
伊藤は、澪を見る。
「必要ないものだ」
言い切りだった。
強くもなく、乱暴でもない。
ただ、前提が違う。
玲は、それ以上踏み込まなかった。
「……まあ、仕事は回ってるしね」
燈も、すでに興味を失っている。
真琴は、全体を見渡し、話を終わらせた。
「過去の事件は、全部解決済み。今さら蒸し返す必要はない」
誰も反論しなかった。
伊藤は、資料をまとめ直し、棚に戻す。
澪は、その背中を見ていた。
点は、線になり始めている。
けれど、まだ一本の線にはならない。
決定的な何かが、足りない。
ただ一つ、確かなことがある。
――これらの事件は、
同じ“やり方”で、同じ方向に整えられてきた。
そして、その中心に、
いつも伊藤がいた。
澪は、ファイルを閉じた。
今日は、ここまでだ。
次に進めば、
もう戻れなくなる気がして。
探偵社の外では、夕方の光が街を照らしていた。
余白は、まだ埋まらない。
だが、形だけは、はっきりし始めていた。
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