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玄関のチャイムが鳴ったのは、夕方と夜の境目だった。
外はもう暗いのに、部屋の中にはまだ昼の名残がある。
「出る」
真白が立ち上がり、スリッパを引きずって玄関へ向かう。
ドアを開けると、冷たい空気が一気に入り込んだ。
「……あれ?」
戻ってきた真白の手には、小さな紙袋がひとつ。
「なにそれ」
「多分、うち宛て……?」
袋の表には、確かにこの家の住所。
でも、心当たりがない。
テーブルに置いて開けてみると、中から出てきたのは手袋だった。
濃いグレーの、シンプルなニット。
ただし——
「片方だけだね」
「うん。片方だけ」
ふたりで、しばらく黙ってそれを見下ろす。
「注文ミスかな」
「それとも、落とし物?」
「でも、袋に入ってたし……」
真白は手袋を持ち上げ、指先を伸ばす。
少し大きめで、真白の手には余る。
「アレクのサイズっぽい」
「そう?」
「うん。ほら」
差し出されて、アレクシスは手袋に手を通す。
確かに、ちょうどいい。
「……ぴったりだ」
「でしょ」
真白はなぜか満足そうにうなずいた。
「じゃあ、片方だけ使う?」
「どういう使い方」
「外出るとき、右手だけあったかい」
「不便すぎる」
アレクシスは苦笑しながら手袋を外す。
「明日、管理会社に聞いてみるよ」
「うん。でも……」
真白は少し考えてから言った。
「今は、ここに置いとこ」
「どうして?」
「冬の途中って感じがするから」
意味ははっきりしない。
でも、アレクシスは否定しなかった。
手袋は棚の上に置かれた。
片方だけのまま。
そのあと、ふたりはそれぞれの時間に戻る。
アレクシスはノートパソコンを開き、
真白はラグの上で、スマホを眺める。
しばらくして、真白がぽつりと言った。
「さ」
「ん?」
「冬って、片方足りないもの多くない?」
「急にどうした」
「手袋とか、靴下とか」
「洗濯機の中に消えるやつね」
「そう。それ」
真白は棚の手袋をちらりと見る。
「でもさ、片方だけでも、あったかいんだよね」
アレクシスはキーボードから手を離し、少し考える。
「まあ……冷えない方があるだけ、違うね」
「でしょ」
それ以上は言わない。
でも、その会話だけで、何かが通じた気がした。
夜になり、暖房を入れる。
加湿器の音が、一定のリズムを刻む。
ソファに並んで座ると、真白は自然にアレクシスの近くに寄った。
触れないけれど、遠くない距離。
「今日、寒かった」
「そうだね」
「でも、帰ってきたら平気だった」
「それはよかった」
棚の上で、片方だけの手袋が、静かに影を落としている。
「明日、持ち主見つかるかな」
「どうだろう」
「見つからなかったら……」
真白は言葉を切る。
「そのとき考えよう」
アレクシスはそう言って、カップを口に運んだ。
冬は、全部揃わなくても進んでいく。
片方足りないままでも、
ちゃんとあたたかい夜は来る。
手袋はまだ、棚の上にある。
それで、今は十分だった。