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昼過ぎ、探偵社は珍しく静かだった。依頼人対応も外回りもなく、机の上には昨日までの資料がそのまま積まれている。
整理されたはずなのに、終わった感じがしない。
「……結局さ」
真琴が椅子を少し揺らしながら言った。
「この事件、“解けた”って言っていいのかな」
「定義による」
玲は即答する。
「事実関係の矛盾は説明できた。依頼内容も満たしている」
「でも、気持ち悪い」
燈が机に頬杖をつく。
「誰も嘘ついてねえのに、全員ズレてる」
「ズレてる、というより」
澪が小さく言葉を足す。
「同じ場所に寄ってる」
「それそれ」
燈が指を鳴らす。
「寄せ集められた感じ」
真琴は笑って受け止める。
「まあまあ。少なくとも、誰かを疑わなくて済むだけマシだよ」
「探偵のセリフか?」
「探偵社の顔のセリフ」
伊藤が、少し遅れて会話に入った。
「整理、終わった」
「ありがとう、伊藤さん」
真琴が立ち上がる。
「年表、もう一回見せてもらっていい?」
伊藤は淡々と紙を並べた。
時系列は綺麗だ。無駄がなく、説明しやすい。
「……分かりやすいね」
真琴が言う。
「うん」
澪も頷く。
「分かりやすすぎる」
燈が眉をひそめた。
「それ、褒めてんのか?」
玲は紙の端を押さえながら言う。
「“理解しやすい形”に落ち着いている」
「悪いことじゃないだろ」
「悪いとは言ってない」
伊藤はそのやり取りを、少し眠たそうな目で見ていた。
「人は」
ぽつりと、穏やかな声が落ちる。
「同じ説明を何度も聞くと、それを自分の記憶だと思うようになる」
会話が、一拍止まった。
「……それって」
真琴がゆっくり聞き返す。
「よくあることだ」
伊藤は特別な調子ではなかった。
「説明会、報告書、マニュアル。
“こういう出来事だった”という形を先に渡されると、人はそれに沿って思い出す」
「じゃあさ」
燈が椅子を鳴らす。
「最初の記憶が違ってても?」
「上書きされる」
即答だった。
玲が伊藤を見る。
「それは、証言の信頼性が……」
「下がるとは限らない」
伊藤は首を振る。
「本人にとっては、全部“本当”だから」
澪が静かに視線を落とした。
「……誰も、嘘をついてない」
「ああ」
伊藤は資料を揃え直す。
「だからこそ、厄介だ」
真琴は少しだけ考え込む。
「じゃあ、この事件は」
「“誰かの悪意”で起きたわけじゃない」
伊藤はそう結んだ。
燈が舌打ちする。
「納得いかねえな」
「でも」
真琴が言う。
「依頼人が知りたかったのって、たぶんそこだよ」
「誰かが嘘をついてたか、どうか」
「そう」
玲が頷く。
「それは否定できる」
「……弱え結論」
燈は不満そうだが、それ以上は言わなかった。
その後、伊藤はいつも通り事務作業に戻った。
プリンターの音、紙を揃える音。
特別なことは何もない。
帰り際、澪だけが立ち止まる。
棚に戻された説明冊子。
その背表紙を、そっと指でなぞる。
(説明が、先だったのか)
それとも。
指を唇に当て、何も言わずに踵を返す。
まだ、この違和感に名前はない。