テラーノベル
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夕方、探偵社の前に止まった車は、すぐにはエンジンを切らなかった。窓越しに見える横顔で、真琴は分かる。
「……木津さんだ」
燈が顔を上げる。
「呼んだ?」
「呼んでない」
それでも、真琴は立ち上がった。
ドアを開ける前に、ノブの向こうでノックが鳴る。
「どうぞ」
入ってきた木津は、今日はスーツじゃなかった。
私服。ラフすぎるくらいだ。
「学校帰りか」
「見れば分かるでしょ」
真琴は肩をすくめる。
燈が露骨に眉を寄せた。
「仕事外で来るとか、余計怪しいんだけど」
「自覚はある」
木津は苦笑して、壁際に立った。
「長く話さない。顔出しただけだ」
玲が椅子から立たずに言う。
「資料の件ですか」
「……察しがいいな」
澪は何も言わず、二人を静かに見ていた。
真琴は腕を組む。
「で、今日はどっち?
警察として?
それとも木津さん個人?」
木津は、一瞬だけ視線を落とした。
「個人だ」
その答えに、空気が少し張り詰める。
「忠告しに来た」
燈が即座に言う。
「深入りするな、ってやつ?」
「そう」
否定しなかった。
「この件は、今見えてるより広い」
真琴は一歩近づく。
「広いって、どれくらい」
「……端が見えないくらい」
玲が低く言う。
「脅しですか」
「脅しなら、もっと分かりやすく言う」
木津は首を振った。
「これは、経験則だ」
真琴は目を逸らさなかった。
「木津さんさ」
「ん」
「前にも、こういう事件あった?」
一瞬。
木津の表情が、ほんのわずかに固まる。
「似た処理を、見たことはある」
「関わった?」
「……現場にいた」
それ以上、言わない。
燈が苛立ったように舌打ちする。
「全部ぼかす気かよ」
「全部話したら」
木津は静かに言った。
「お前たちは、戻れなくなる」
澪が、初めて口を開いた。
「戻る、って……」
「今みたいに、ただの探偵でいる場所に」
真琴は、少しだけ笑った。
「もう怪しい事件扱ってる時点で、無理じゃない?」
木津は答えなかった。
代わりに、真琴をまっすぐ見た。
「真琴」
名前を呼ばれ、彼女は一瞬だけ目を瞬かせる。
「これは、お前の父親が踏み込んだ場所と近い」
室内の空気が、完全に止まった。
玲の指が、机の端を掴む。
燈は言葉を失った。
真琴だけが、ゆっくり息を吐く。
「……それ、言うんだ」
「言うつもりはなかった」
木津は苦しそうに言った。
「でも、同じ顔をしてた」
「誰が」
「お前が」
沈黙。
「忠告は以上だ」
木津は一歩引く。
「調べるな、とは言わない。
ただ――」
真琴が遮った。
「深入りするな、でしょ」
「ああ」
「無理だと思う」
即答だった。
木津は、わずかに目を閉じた。
「……そう言うと思った」
玄関で靴を履きながら、振り返る。
「だからせめて、ひとつだけ約束してくれ」
「なに」
「一人で決めない」
真琴は、少し考えてから頷いた。
「それは守る」
木津は、それだけで十分だと言うように、去っていった。
ドアが閉まる。
燈が、最初に息を吐いた。
「重」
玲は静かに言う。
「忠告の内容より、言わなかったことの方が多い」
澪が箱の方を見る。
「……でも、線は引かれましたね」
真琴は棚の下段に目をやる。
「うん」
「引き返せる線、じゃないけど」
彼女は、父の名前を口にしなかった。
その代わり、軽く手を叩く。
「今日はここまで」
「珍しい」
「疲れた」
嘘ではなかった。
灯りを落とした探偵社に、静けさが戻る。
だがその夜、
真琴は夢を見た。
箱の中身が、誰かの手で静かに並べ替えられていく夢を。
どこからも、足音はしなかった。
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