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夜のスタジオは、昼の喧騒を忘れたように沈黙していた。
セットは片づけられ、照明だけが数台、弱々しく光を残している。その温度が、泉の肌をじんわり照らす。
「さっきの続きだ」
柳瀬は、あくまで仕事の確認という体を崩さない。
しかし泉は知っている。
“確認”という言葉の奥に、別の意図が潜んでいることを。
「……続きって、必要ありますか」
弱く、拒絶しきれない声。
柳瀬はその揺らぎを正確に捉え、わずかに笑う。
「ある。お前の反応がまだ、途中だから」
その一言が、泉の呼吸を奪った。
触れられてもいないのに、声だけで体が熱くなる――そのこと自体が、恥ずかしくて悔しい。
「立ってみろ」
命令のようでいて、逃げ道は残している声音。
泉は、それを裏切ることができずに立ち上がった。
背後にまわった柳瀬は、躊躇いもなく泉の肩に触れた。
肩を押したり、掴んだりはしない。
軽く置くだけ。だが、その“軽さ”が逆に泉を震わせる。
「肩に力が入ってる。……ほら」
柳瀬の親指が、肩甲骨のきわをゆっくり辿る。
服の上からなのに、皮膚がそこだけ熱を帯びる。
「……触れないでください」
「触れてない」
確かに、ほとんど触れていない。
でも、触れていないからこそ、意識がそこに集中してしまう。
「泉、お前さ」
耳元に落とされた声は、低くて、温かくて、計算ずくに近い。
「触れられた時より……触れられる“前”が弱いだろ」
泉は息を呑んだ。
図星だった。
「なんで……そんなこと、わかるんですか」
「見りゃ分かる。反応が分かりやすい」
柳瀬が一歩だけ近づく。
背中越しに彼の体温が触れそうで触れない距離。
「こうすると、呼吸が変わる」
泉は思わず前のめりになり、机の端に手をついて支えた。
逃げるための姿勢なのに、まるで誘っているようにも見える。
「……っ、これ……撮影の練習ですか」
「そうだよ。お前が仕上がるまで、何度でもやる」
“仕上がる”
その言葉だけで、全身が粟立った。
「振り向くな」
柳瀬が静かに指示する。
命令ではない。だが反抗する余地を失わせる。
「そのまま、目閉じろ」
泉は抗おうとしたが、柳瀬の気配が近すぎて逆らえなかった。
ゆっくりと目を閉じると、感覚が一気に研ぎ澄まされる。
次の瞬間。
柳瀬の指が、首筋の少し下――声が漏れやすい場所を、なぞった。
「っ……!」
押すわけでも、撫でるわけでもない。
ただ線を引くように滑らせるだけなのに、全身が跳ねる。
「いい。そういう反応だ」
柳瀬の声はいつもの静けさを保ちながら、わずかに熱を含んでいた。
「嫌なら言え」
その言葉が一番ずるい。
“嫌じゃない”と認めることがどれほど恥ずかしいか、柳瀬は分かっているのだ。
「……いや、です」
「分かった」
即答。
その“了解”が、泉の膝をさらに弱くする。
柳瀬の指が、今度は肩甲骨から背中の中央までゆっくり下りていく。
服越しなのに、肌が焼けるように敏感になっていく。
「声……出てるぞ」
「っ、出してません……!」
「出してる。俺が聞いてる」
その声の重さが、ゆっくり泉を溶かしていく。
背中に触れる指先は、仕事道具のように正確で、必要以上に優しくはない。
だからこそ、泉の体は素直に反応する。
「柳瀬さん……今日は、確認だけって」
「そうだよ。確認だけだ」
囁きが耳のすぐそばで震える。
触れたいわけでも、抱きしめたいわけでもない。
ただ――泉の反応だけを手に入れたい。
「……指、どけてください……」
「嫌だな」
柳瀬の声は静かなまま、抵抗という概念を簡単に踏み潰す。
「お前がそう言う時の声が、一番いいんだ」
泉は机に指を食い込ませ、どうにか体を支えた。
触れられるたび、冷静さがどんどん削られていく。
――どうしてこんなに、柳瀬に反応してしまうんだ。
「泉」
名を呼ばれる。
それだけで、胸の奥が震えた。
「顔、こっち向けろ」
ゆっくり振り向いた先にあるのは、照明よりも熱い目だった。
至近距離で視線が絡まる。
柳瀬は泉の唇に触れる寸前で止め、囁いた。
「触れないよ。……今日はここまでだ」
理性が戻ってくると同時に、もっと続きを求める自分がいることに気づく。
柳瀬はそれを見透かしたように微笑んだ。
「続きは、次の“確認”でな」
スタジオの照明が落ちる。
夜の静寂がまた二人を包み込んだ。