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意識を失った沙夜は、緑に包まれた小道を歩いていた。
足元はふわりと柔らかく、まるで雲の上を歩いているよう――。
道の両側には、可憐な色とりどりの花々が咲き誇り、甘い香りが風に乗って流れてきた。
前方へ視線を向けると、目を開けていられないほど眩しい光があふれていた。
(あそこへ行けば……きっと楽になれる)
理由もなく、そんな確信が胸に浮かぶ。
沙夜は迷いなく、その光へ向かって歩みを進めた。
そのとき――耳元に声が響いた。
“そっちへ行ってはだめよ”
声というより、意識そのものに直接触れてくるような、不思議な響きだった。
それはもはや“声”という枠を超え、エネルギーそのもののように感じられ、どこか懐かしさすら滲んでいた。
(誰……?)
沙夜は振り返った。しかし、そこには誰の姿もない。
不思議に思いながらも、彼女は声の指示に従い、光へ向かう道を外れて左手の小道へ進んだ。
歩くにつれ、胸の奥に確信めいた思いがじわりと広がっていく。
(そうか……私は死ぬのね。出産で多量出血して……このまま死ぬんだわ)
そう思っても、不思議と悲しさはなかった。
むしろ胸に満ちていったのは、ほっとするような安堵だった。
――このまま死ねば、あの苦しい結婚生活から解放される。自由になれる。
その思いは強く、自分がそれを望んでいることを沙夜ははっきりと自覚した。
(死んだら……生まれ変われるのかな。もし生まれ変わったら、今度こそ普通に恋をして、幸せな結婚がしたい……)
自然とそんな願いが浮かぶ。
そして、いつも表情を見せない司の顔が脳裏に浮かんだ。
(今度生まれ変わったら……ちゃんと好きな人と結婚しよう。あんな辛い結婚生活は、もうこりごり)
寂しげな気持ちでそう思った瞬間、沙夜の前に真っ白な扉が現れた。
(え……? この扉の先には何があるの?)
戸惑いながらも、沙夜はその扉に手をかける。
そしてゆっくりと開き、一歩踏み出した。
その瞬間、景色が一変した。
そこは、沙夜の父が頭取を務める銀行の秘書室――
そう……沙夜が以前勤めていた職場だった。
(えっ……どうして?)
呆然と立ち尽くす沙夜の背後から、突然声が響いた。
「財前さん。大丈夫?」
振り向くと、心配そうな表情の三国怜央が立っていた。
「あっ……」
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
「いっ、いえ……大丈夫です」
「ならよかった。あ、これ、課長に渡しといてくれる? 席外してるみたいだから」
「わ、分かりました」
「よろしくね」
怜央は軽くウインクをして、颯爽と去っていった。
その背中を見送っていると、今度は後輩の梨花が近づいてくる。
「先輩、ぼーっとしてどうしたんですか?」
「あ……ああ、ごめんなさい。大丈夫よ」
「それならいいですけど」
梨花は不思議そうにしながら席へ戻っていった。
(どういうこと……?)
退職したはずなのに、自分の席がそのままある。
沙夜は混乱しながら、とりあえず自分の席へ腰を下ろした。
(ここはいったい何……? 夢なの?)
考え込んでいると、突然電話が鳴ったので、沙夜は反射的に電話をとった。
以前と同じように業務をこなす自分に、誰も違和感を抱いていない。
(死にかけたはずなのに……いったい、どうなってるの?)
そこで、ひとつの可能性が浮かんだ。
(もしかして……私は生まれ変わったの? 違う世界に移ったってこと?)
心臓がどきどきと高鳴る。
周囲に怪しまれないように、沙夜は胸の奥で高鳴る鼓動を必死に抑えながら仕事を続けた。
三時間後、就業時刻を迎え、皆が退社したあとも沙夜は席に残っていた。
心臓の鼓動はだいぶ落ち着いていたものの、頭の混乱は収まらない。
(今日……私はどこへ帰ればいいの?)
そこで、はっと気づく。
(今って……いつなの? 何年、何月、何日?)
パソコンの日付を見ると、そこには十か月前の日付が表示されていた。
それは、ちょうど父からお見合いの話を持ち掛けられたころだった。
(やっぱり……。つまり私は、タイムリープしたってこと?)
再び心臓が激しく脈打つ。
不安がさらに増した沙夜は、急いで荷物をまとめ、会社を出ることにした。
裏口の守衛室には、沙夜が会社を辞める少し前に退職したはずの守衛がいた。
(やっぱり……私は過去に戻ったのね……)
「お疲れさまです」
守衛からにこやかに声をかけられ、沙夜はぎこちなく笑って挨拶を返した。
「お先に失礼します」
会社を出ると、沙夜はふと思った。
(十か月前の私はまだ独身だった……だから、父のいる実家に帰ればいい……のよね?)
そう思いながら駅へ向かう。
そのとき、背後から声が響いた。
「財前さーん!」
振り向くと、三国怜央が手を振りながら近づいてくる。
沙夜のそばまで来ると、彼は笑顔で言った。
「今帰り?」
「……はい」
少し緊張しながら返事をすると、怜央は満面の笑みを浮かべた。
「ちょうどよかった。もしよければ、ご飯でもどう?」
「私と……ですか?」
「うん。実は、ずっと前から誘おうと思ってたんだよね」
怜央は照れたように頭を掻く。
戸惑いながらも、沙夜は断り切れずに答えた。
「あまり遅くなるのは……」
「ああ、もちろん、軽くパパッとでいいよ」
「それなら……」
「よかった。じゃあ行こうか。この先に新しい店ができたんだ」
沙夜はほっと息を吐き、怜央の後について歩き出した。
(本当に私はタイムリープしたの? それとも生まれ変わり……? 誰も不思議に思っていない。ただ、日付だけが十か月前に戻ってる……)
混乱と不安が入り混じる中、沙夜はただこの流れに身を任せるしかなかった。
コメント
17件
沙夜ちゃんを引き止めてくれたのはお母さん?白い扉の向こうは過去に戻ったの?それとも夢? もし過去なら沙夜ちゃんの思う人生をやり直せたら良いのにね
引き止めてくれてよかった‼️ 誰の声だったんだろうね? これからどうなる⁉️
引き留めた声はお母さんかな? 突然のタイムリープに戸惑うけど、後悔だらけの結婚をリセットするチャンス✨ さてはて玲央さんは敵が味方か⁉️