テラーノベル
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怜央が選んだ店は、少し洒落た、こじんまりとした居酒屋だった。
二人はテーブル席で向かい合い、怜央がおすすめの料理とビールを注文する。
ビールが運ばれてくると、二人はグラスを軽く合わせて乾杯した。
勢いよくビールを飲んだあと、怜央が口を開く。
「頭取のご令嬢を連れてくるにはちょっとしょぼい店だけど、ここの魚料理は本当に美味しいんだよ」
「お魚……私、好きです」
「それはよかった。特にイカの刺身が新鮮でね。口に入れると吸盤が吸い付くんだよ」
「え?」
沙夜が思わず目を見開くと、怜央は楽しそうに笑った。
「あはは、もしや頭取令嬢の初挑戦になるのかな?」
冗談めかした言葉に、沙夜は少し緊張がほどけていくのを感じた。
いきなりこの世界へ来て、驚くことばかりで疲れ切っていたからだ。
やがて料理が少しずつ運ばれ、二人は食事をしながら会話を続けた。
「財前さんって、付き合ってる人いるの?」
突然の問いに、沙夜は驚いて箸を止めた。
「……特にはいませんけど」
「そうなんだ。それはよかった」
「それは、どういう……?」
意味が分からず聞き返すと、怜央は箸を置き、少し緊張した面持ちで口を開いた。
「実は僕、財前さんとお付き合いしたいと思ってて……」
「えっ?」
突然の告白に、沙夜は体を固くした。
軽い気持ちでついてきた食事の場で、まさか告白されるとは思ってもいなかった。
同時に、後輩の梨花が言っていたことは本当だったのだと悟る。
しかし、沙夜の胸には戸惑いが広がっていた。
ずっと好意を抱いていた怜央からの告白なのに、喜びが湧いてこない自分がいたからだ。
(こんな場面を何度も想像していたのに、どうして私は嬉しくないの?)
自分の気持ちに戸惑いながら、沙夜は父の言葉を思い出す。
これから父が決めた相手と見合いをすることになっている。
その相手は、感情を表に出さない冷徹な仮面をかぶった――自分の夫、司だ。
(もし今ここで、三国さんの申し込みを受けたら? 未来はどう変わるの?)
沙夜は必死に思いを巡らせてみたが、明確な答えは見つからなかった。
黙り込む沙夜を見て、怜央は戸惑いながら続けた。
「突然変なこと言ってごめん。でも、真面目にそう思ってる。答えは急がないから、じっくり考えて、気持ちが決まったら連絡してほしい」
「……分かりました」
「財前さんも家のこととかお父さんのこととか、いろいろあるだろうし、すぐ返事ができないのは分かってる。でも、どうしても伝えておきたかったんだ」
「すみません。すぐに返事できなくて……」
「謝らないで。とにかく今日は、この話は一旦忘れて、良き同僚として食事を楽しもうよ」
怜央はそう言って、追加注文のためにスタッフを呼んだ。
一時間後。
家まで送るという怜央の申し出を断り、沙夜はタクシーで帰路についた。
流れゆく夜の街を眺めながら、重いため息が漏れる。
あれほど憧れていた怜央と二人きりで過ごしたのに、沙夜の胸はまったくときめいていなかった。
夢に描いていた時間は、ただの同僚との食事と何ひとつ変わらなかった。
(ただ勝手に、想像の中だけで彼を素敵な人だと思い込んでいただけなの?)
そう気づいた瞬間、また深いため息が漏れた。
すると、五十代ほどの女性運転手が声をかけてきた。
「失礼ですが、何か悩みごとでも?」
「あ……すみません、つい」
「謝らなくていいんですよ。私も、あなたと同じくらいの娘がいるので、ちょっと気になってね」
「お嬢さんが?」
「はい。最近恋人ができたみたいで、今度連れてくるって言うんです。あ、うちは母子家庭で、普段から何でもざっくばらんに話すんですよ」
「そうでしたか」
「ええ。どんな人を連れてくるのか、楽しみ半分、不安半分ですよねぇ」
バックミラーには、嬉しそうに微笑む女性の顔が映っていた。
そこで、沙夜はふと尋ねた。
「親としては、やっぱり自分が気に入った相手と結婚してくれる方が安心なんでしょうか?」
女性は少し考えてから答えた。
「もちろん、そうですよ。若い人って、世間や大人のことがまだよく分かっていないでしょう? だから判断を間違えることも多いし……その点、親はすべて見抜けますから」
「やっぱり……そうですよね」
「はい。まあ、どこの親も同じですよ。手塩にかけて育てた娘には幸せになってほしい――そう思うのは、当然のことです」
“手塩にかけて育てた娘には幸せになってほしい”
沙夜の父も、政略結婚という表向きの事情の前に、何より娘の幸せを願って司を選んだのだろう。
そう思うと、“政略結婚させられた悲劇の娘”を演じていた自分は、少し甘えていたのではないか――そんな気がしてきた。
女性運転手は続けた。
「まあ、私も結婚に失敗してるから偉そうなことは言えないんですけどね。でも、どんな夫婦も最初は他人同士だし、そこからどう理解し合っていくかが大事なのかなって思うんですよ」
「理解……ですか?」
「そう。何も言わずに分かってもらおうなんて、図々しいにもほどがあるっていうか。やっぱり、互いに思いを伝え合い、歩み寄る。そうやって互いの最適解を探す努力をする――夫婦っていうのはそういうもんなんじゃないでしょうか」
その言葉は、沙夜の胸に深く突き刺さった。
自分は不満ばかり抱えて、何ひとつ努力していなかったのではないか。
司はいつも表情こそ乏しいが、沙夜が少しでも楽になれるよう気を配ってくれていた。
多忙な中でも細やかに気遣い、沙夜になるべく負担をかけないようにしてくれていた。
その優しさに感謝すらせずに、不満ばかりを募らせていた自分が、急に情けなく思えてくる。
自宅前に到着し、沙夜がタクシーを降りようとすると、女性運転手は笑顔で言った。
「相手の目に見える表の部分だけで判断しないで、隠された部分に注目してみるといいですよ。案外、すぐに答えが見つかるかもしれません」
「隠された部分……?」
「そう。その人の表立ったいいところばかりじゃなく、もっと奥にある“芯”の部分をね。そこを見つけられたら、真の幸せがつかめる気がしますから」
「隠された芯の部分……」
「ふふ、まあ、口で言うのは簡単なんですけどね。では、ご乗車ありがとうございました」
女性運転手は軽やかに笑うと、沙夜の前から走り去っていった。
(隠された芯の部分って、どうやったら見えるんだろう?)
沙夜はその言葉を胸の中で反芻しながら、自宅の門を開けて中へ入っていった。
コメント
13件
相手の隠された芯の部分を見る! これはとても大切な事だと思います これを昔知っていたら人生もっと違ったかもしれないと思います 沙夜ちゃん これからどんな人の芯の部分を見て行くのかしら 続きが楽しみです
続きます😊(長文になってしまいすみません🥲🙏💦) でも…好きだと思っていたのに、三国さんの告白に答えかった沙夜さん 帰りのタクシーで出会った、女性運転手さん。悩みを打ち明けると、運転手さんのアドバイスに私も感動しました😭優しくて温かいまるでお母さんのように私も思いました。不思議な感じです。司さんには何か沙夜さんと距離を置く理由があるのでしょうか? 明日が楽しみです☺️💞
マリコ先生…お久しぶりです😊 また、最初から読み返して もう…泣きそうです🥹お父様が決めた 結婚相手、一度だけのお見合い、そして妊娠…司さんのいない結婚生活 浮気疑惑、臨月を向かえ出産 赤ちゃんが産まれたのに、出産後の出血が止まらなくて沙夜さんが意識を失って…司さんも傍にいなくて… 悲しすぎます😭薄れゆく意識の中 夢の世界だと思っていたらタイムリープ?過去に戻り三国さんからの告白😳
管野アリオ
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#執着
猫とろ
146
瑠璃マリコ
17,615
#狂愛
柏木さくら
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