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その週の金曜日、霧守町役場の会議室は、窓を閉めているのにどこか乾いていた。
長机が几帳面に並び、前方には白いスクリーン。そこへ映し出された文字が、やけに滑らかだった。
『やわらかな檻の中で』
白群リゾートの再開発案の表題である、と担当者は穏やかな声で説明した。朝風通りの個人商店を一体型宿泊施設へ改装し、統一感のある街並みと管理された快適さを実現する。仕入れは共同化、制服は洗練、接客は標準化。古い町並みは残しつつ、運営は効率化。
言葉だけ聞けば、悪い話ではないように思える。
会議室には商店街の店主たち、町役場の職員、数人の町議、そしてハヤたちもいた。ハヤは後ろの席に座り、なるべく目立たないよう膝の上で指を組んでいる。
担当者が笑みを浮かべた。
「個人商店の魅力は残します。ただし、より多くのお客様へ届く形に整えるのです」
「店名は?」
と、誰かが前から訊いた。
「残せます」
「中身は?」
今度はオブラスだった。
「運営母体の支援を受けながら、安定した形へ」
「つまり、本部管理ですよね」
担当者は否定しなかった。
ハヤはスクリーンの文字を見つめた。やわらかな檻。きれいで、静かで、傷つきにくそうな言葉。檻という言葉まで、わざと柔らかく包んである。
そこへノイシュタットが、低い声で呟いた。
「言葉の化粧が厚い」
「今は黙って」
ハヤが小さく返す。
説明は続いた。防災面の強化、観光導線の整備、雇用の安定。誰もが欲しがる言葉ばかりが並ぶ。実際、前の列にいた店主の一人は、途中で何度も頷いていた。空き店舗が増え、売上が細るなかで、「守ってもらえる形」は魅力に見えるだろう。
「うちは後継ぎがいないからねえ」
小声が隣の列から聞こえた。
「名前だけでも残るなら」
そのつぶやきが、ハヤの胸へ重く落ちる。
名前だけでも残るなら。
その瞬間、自分の中にも、似たような声があることに気づいた。誰かに管理されていても、表に立たなくて済むなら楽ではないか。判断も、宣伝も、責任も減る。花屋が残るのなら、それでいいと考えてしまいそうになる。
だが、スクリーンの言葉を見ていると息が浅くなった。
やわらかな檻の中で。
柔らかいから、痛みにくい。居心地も悪くないかもしれない。けれど、一度そこへ座ってしまったら、自分の足で外へ出る意味を忘れてしまいそうだった。
説明会の最後、白群リゾートの担当者は花屋へ向けるように言った。
「地域の象徴となる店舗には、特に丁寧なブランド設計をご提案できます」
その言い方は上品だったが、ハヤには首輪を見せられた気がした。
会議室を出たあと、夕方の空気を吸っても、胸の詰まりはすぐには消えなかった。役場の駐車場の向こうで、山の稜線が鈍く暗い。
「どう思った」
オブラスが隣へ来る。
ハヤは少し間をおいてから答えた。
「快適そうでした」
「うん」
「でも、苦しかったです」
オブラスはそれ以上は聞かなかった。ただ、十分だというように一度だけ頷いた。
帰り道、ハヤは会議室でもらった資料を鞄の中で握りつぶしそうになった。表紙の光沢がやけに綺麗で、指先に馴染まない。
柔らかい檻に入るのは、壊れるよりずっと静かだ。
だからこそ、怖いのだと、初めて思った。