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日下部の相談室2

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日下部の相談室2

50 - 第50話 人の視線が怖いわけじゃないのに、教室に入るだけで緊張する

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2025年11月24日

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六限が終わって生徒たちが帰りはじめる頃、廊下には足音の余韻だけが残っていた。

その余韻が薄れていくにつれ、学校は不思議なほど静まり返る。

日下部は相談室のカーテンを少しだけ開け、夕陽の色を確かめてから机に向き直った。


と、そのとき。


コン、という弱いノック。

遠慮がちで、ノックというより、触れただけのような微かな音。


「入っていいぞ」


声をかけると、扉がほんのわずかに揺れ、ゆっくり開いた。

そこに立っていたのは、目だけがやたらと緊張している M だった。


「……あの、少しだけ……話、してもいいですか」


「いい。座れ」


Mは扉を閉め、まるで音を立てることすら迷惑になると思っているかのように、そっと椅子へ腰掛けた。


沈黙が落ちる。

Mは言葉を探しているようだった。

日下部は急かさない。ただ、待つ。

“待つことが必要な子だ”と、一瞬で察したからだ。


ようやく、Mの声が落ちてきた。


「……別に、人の視線が怖いとかじゃないんです。

嫌われてるとか、そういうのも……たぶん、ないんです。

でも……教室に入るだけで、すごく緊張します」


日下部は目線だけ向けて、静かに相づちを打つ。


「緊張、ね。どんなふうに?」


Mは膝の上で手を組み替えた。

その指の動きが落ち着かない。


「……入る前、扉の前で一回立ち止まっちゃうんです。

別に誰も見てないのに、“空気を乱しちゃいけない”感じがして……

みんなもう中にいるから、そこに入り込むのが怖いっていうか……

……うまく言えないけど……“その場そのもの”が苦手になる感じで」


言葉が苦しげにこぼれ落ちた。

M自身も、その理由が分かっていないようだった。


日下部はほんの少しだけ身体を前に傾けた。

話す側が「拒絶されていない」と分かる、ぎりぎりの距離まで。


「……その気持ち、分かるやつ意外と多いぞ」


Mの肩がわずかに震え、顔を上げた。


「え……本当ですか」


「ああ。

人の視線じゃなくて、“場”に緊張するタイプな。

空気の流れ方とか、すでに出来上がってる雰囲気とか……

あれに飛び込むのが苦手なんだよ」


Mは息を呑むように頷いた。


「……そうです、それです。

誰かが怖いわけじゃないのに……

教室って、完成されてる場所に入り込むみたいで……

自分がそこにいていいのか、わからなくなるんです……」


その告白には、長く抱えてきた重さが滲んでいた。


日下部は机の上のペンを指で軽く転がしながら、言葉を選んだ。


「教室ってさ、あれ見た目以上に“空気の圧”があるからな。

全員が当たり前の顔して座ってるけど……

その“当たり前”に遅れて入るのが、しんどいんだろ」


Mは、息を吸うでもなく吐くでもなく、ただ目を伏せた。


「……なんか、わかってもらえて……

安心したっていうか……

変な悩みだと思ってたから……」


「変じゃねぇよ。

むしろ、繊細で、場の雰囲気に敏感だからこそ起きる感覚だ」


その言葉に、Mの指先の震えがほんの少し弱まった。


「じゃあ……どうしたら、入るとき苦しくなくなりますか」


日下部はすぐに答えない。

一拍、呼吸を置いてから呟く。


「……まず、入る前に“自分の領域”を作れ。

扉の前で立ち止まるのは悪くない。

ただ、そのときに“場に合わせよう”って思うから苦しくなる」


Mはもう一度顔を上げる。


「自分の領域……?」


「そう。

一秒でいい。“今から俺が入る”って、自分にだけ宣言する感じ。

場に合わせる前に、自分の速度を守るってことだ」


Mの瞳に戸惑いと、少しの興味が混じる。


「……そんなことで、変わるかな」


「いきなり全部は変わらない。

でも、“入る瞬間の苦しさ”は確実に減る。

場に飲まれるんじゃなくて、お前が場に足をつける準備になるからな」


Mはしばらく考えてから、ぽつりと呟く。


「……やってみようかな。

なんか……今日、初めて……

“入るのが怖い自分”でもいいのかなって思えました」


日下部は小さく笑った。

優しくするでもなく、慰めるでもなく。

ただ、肯定だけがそこにあった。


「いいよ。それで。

怖いなら、そのままでいい。

少しずつ慣れりゃいい」


Mは深く息をつき、立ち上がった。


「……また来ていいですか」


「好きにしろ。枠は空けとく」


Mが去ったあと、相談室には静けさが戻った。

だがその静けさは、どこか柔らかかった。

さっきまでこの部屋にいた小さな震えが、少しだけ形を持った気がして。

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