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風の音が、まだ耳に残っていた。
日下部は、遥の腕を掴んだまま、しばらく離さなかった。
強く引いたわけじゃない。
抱き寄せたわけでもない。
ただ、落ちない位置に引き戻しただけだった。
遥は抵抗しなかった。
その代わり、力が抜けたように、その場に崩れた。
「……っ」
声にならない音が、喉の奥で擦れる。
泣き声でも、叫びでもない。
息が壊れた音。
日下部は、どう声をかけていいかわからなかった。
「大丈夫か」も
「死ぬな」も
どれも、今さらすぎる。
結局、言えたのは一言だけだった。
「……立てるか」
遥は、ゆっくり顔を上げた。
その目は、怒っても、縋ってもいなかった。
ただ――
全部、使い切った目だった。
頷きもしない。
でも、拒まない。
日下部は、遥の腕を肩に回し、屋上を出た。
誰にも見られないように、ではない。
見られても、もうどうでもいいという歩き方だった。
保健室。
ベッドに座らせると、遥は急に震え出した。
寒さじゃない。
後から来た。
「……ごめん」
ぽつり、と落ちた言葉。
日下部は、一瞬、息が詰まった。
「何で謝る」
強い口調になってしまった。
遥は肩をすくめた。
「……迷惑、だったかなって」
その一言で、日下部は理解する。
遥は、“助けられた”と思っていない。
「迷惑だったら、来ない」
そう返しながら、
自分の声が、どこか正論めいていることに気づく。
――違う。
今、欲しいのは正論じゃない。
遥は俯いたまま、続けた。
「……俺さ」
一拍。
「いなくなったら、楽になる人の方が、多いんだと思ってた」
それは、独白に近かった。
誰かを説得するための言葉じゃない。
日下部は、返す言葉を探して――見つからなかった。
否定できないからだ。
自分も、その一部だったから。
沈黙が落ちる。
遥は、笑おうとして、失敗した。
「……今日も、学校行くの、別に意味なかったし」
その言い方が、あまりに淡々としていて、
日下部の胸に、遅れて痛みが走った。
「……俺は」
日下部は、ようやく口を開く。
「俺は、意味があるとかないとかで、人がいなくなっていいとは思わない」
それは、決意表明でも、救いでもない。
ただの、今の限界。
遥は、少しだけ顔を上げた。
「……それ、もっと早く言ってほしかった」
責める声じゃない。
事実を述べただけの声。
そのほうが、きつかった。
日下部は、何も言えなかった。
謝れば済む話じゃないと、わかっていたから。