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#初心者
寿命㌫(主)
1,128
放課後。
教室には、もうほとんど誰もいない。
黒板だけが少し白く残っている。
消し忘れた文字の跡。
紬は窓際の席に座っていた。
帰るタイミングを失ったまま、ただ鞄を抱えている。
(今日も)
特に何もなかった一日。
そう思うのに。
胸の奥だけが落ち着かない。
廊下から足音がした。
蒼真だった。
一人。
教室の前を通るだけ。
そのはずだった。
一瞬。
視線が合う。
蒼真の目は止まらない。
そのまま通り過ぎる。
紬は動けない。
(今、見てた)
そう思った瞬間にはもう遅い。
蒼真の背中は遠ざかる。
何もなかったみたいに。
紬は立ち上がる。
無意識だった。
教室を出る。
廊下。
蒼真の姿はもう見えない。
でも足は止まらない。
角を曲がる。
そこにいた。
蒼真。
壁にもたれて、スマホを見ている。
気づいていないふりにも見える。
紬は息を吸う。
「……蒼真」
名前が出る。
蒼真はすぐには顔を上げない。
数秒。
それから、ようやく視線だけ向ける。
「なに」
低い声。
紬は少し詰まる。
何も考えていなかった。
ただ呼んだだけだった。
「さっき」
言いかけて止まる。
蒼真の眉がわずかに動く。
「さっき?」
繰り返される。
紬は口を開く。
閉じる。
「……別に」
結局それになる。
蒼真は小さく息を吐く。
「用ないなら呼ぶな」
それだけ。
冷たいというより、興味がない。
その方がきつい。
紬は視線を落とす。
「……ごめん」
小さく言う。
蒼真はもう返さない。
スマホに視線を戻す。
終わった、という空気。
紬はその場に立ったまま。
動けない。
「紬」
後ろから声。
振り向く。
悠生だった。
「探してた」
息は少しだけ上がっている。
「……なんで」
「帰るかと思って」
紬は何も言わない。
悠生は廊下の奥を見る。
蒼真はもういない。
「話してた?」
「別に」
即答。
悠生は少しだけ目を細める。
「そ」
それだけ。
少し沈黙。
「なあ」
悠生が言う。
「さっきのさ」
紬は顔を上げない。
「蒼真、別に怒ってないよ」
紬の指が少し動く。
「怒ってないから余計タチ悪いんだよな、ああいうの」
軽く笑う。
でも紬は笑えない。
帰り道。
二人並んで歩く。
会話は少ない。
夕方の空が少しだけ赤い。
「今日さ」
悠生が言う。
「蒼真、ちょっと変だった」
紬は反応しない。
「前からだけど」
付け足す。
紬は足元を見る。
「どこが」
「……分かんない」
正直な声。
「でも」
少し間。
「見てると、逃げてるみたいに見える」
紬の足が止まりかける。
(逃げてる)
その言葉が引っかかる。
蒼真が?
何から?
「……考えすぎ」
そう言うしかない。
悠生はそれ以上言わない。
ただ、少しだけ空を見上げる。
「そうかもな」
その夜。
紬はまたアルバムを開く。
昔の蒼真。
何度見ても変わらない笑顔。
でも今日は少し違って見えた。
(逃げてる)
その言葉が重なる。
紬はページをめくる手を止める。
写真の中の蒼真は。
まだ何も知らない顔をしていた。
コメント
1件
第5話、読んだよ…。あの一瞬も言えなかった「さっき」が、ずっと胸に残る感じがしたわ。悠生の「逃げてるみたいに見える」って言葉、すごく重いね。蒼真が何から逃げてるのか気になるし、紬の視点でしか見えないもどかしさがじわじわくるエピソードだった。