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翌二十五日の朝、朝風通りには昨夜の雨がまだ薄く残っていた。石畳の隙間に水が光り、店の前を掃くほうきの音が、いつもより澄んで聞こえる。
花屋「花は散らない」の開店前から、人が何人も立ち寄った。昨日助けられた夫婦が礼を言いに来て、そのあとで神社帰りの年配夫婦が「商店街の人たちが山まで動いたって本当か」と聞き、さらに旅館の女将が供花ではなく退院祝いの花束を予約していった。
噂の回り方が、昨日までと違う。
面白い祭りをやる人たち、ではない。
何かあった時に頼れる人たち、へ変わり始めていた。
オブラスは開店前の帳場で、朝から入った予約の数を書き込んでいた。
「この速度、昨日の夕方以降だけで普段の三日分です」
「口コミは原始的だが速いですね」
ジョンナが新聞の地方欄を広げる。
「しかも、昨日その場にいた役場職員の証言付きです」
ノイシュタットは店先の濡れた鉢を並べ直しながら、通りの向こうを見た。
白群リゾートの担当者が、役場職員と二人で立っていた。昨日までの余裕ある顔ではない。祭りを古い見世物だと思っていた視線が、少しだけ計算のし直しを始めている。
担当者は店へ入っては来なかった。代わりに、通りを歩く人の流れを眺め、助けられた夫婦がハヤへ頭を下げる様子を見ていた。数字に直す前の信頼は、いちばん扱いにくい。金額で測りづらく、失えば長く尾を引く。
「誤算でしょうね」
オブラスがぽつりと言う。
「祭りの導線が、そのまま防災導線だなんて、向こうは本気で考えていなかった」
「こっちだって、二十年前の設計図がここまで生きると思ってませんでした」
ハヤはりんどうの包み紙を整えながら答えた。
エフチキアが、開店札を表へ返す。
「でも、これで楽になるわけじゃないですよね」
その言い方が、変に大人びて聞こえた。
ノイシュタットが振り向く。
「鋭い。目立つというのは、次の失敗がよく見える場所に立つことでもある」
「じゃあ、もっとちゃんとしないと」
エフチキアはそれだけ言って、名札の束を数え始めた。
ハルミネは新しい包装布を机へ広げる。
エルドウィンは昨日泥で汚れたロープを洗い、陰干しの位置を確かめる。ドゥシャンはまだ少しだけ照れた顔で、神社から借りた毛布を畳んで持って来た。
店の前を通る人が、ハヤの名を呼ぶ。
「昨日はありがとう、ハヤさん」
その呼びかけに、ハヤはすぐ返事ができた。
「こちらこそ、無事でよかったです」
白群の担当者は、そのやり取りを見たあと、短く会釈だけして去った。撤退ではない。だが、押し切れると思っていた歩幅ではなくなった。
朝風通りには、濡れた石の匂いと、焼きたての菓子の匂いと、切り花の青い匂いが一緒に流れていた。
花屋と祭りは、もう目立たずに済む場所へは戻れない。
それは怖いことだったが、同時に、昨日までより少しだけ誇らしい重さでもあった。