テラーノベル
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翌朝、病室の窓から薄い朝日が差し込んでいた。
モンジェは前の晩より少し顔色を戻していた。目もはっきり開いている。点滴の管は痛々しいが、いつもの不機嫌そうな眉間のしわが戻っているだけで、クリストルンは少し笑えた。
「おはよう」
「病院の朝飯は量が少ない」
「元気の基準そこなんだ」
軽口を交わせるだけで、胸の奥がほどけていく。
しばらくして、クリストルンは椅子を引き寄せた。
「昨日の続き、していい?」
モンジェは天井を見たまま、ふっと息を吐く。
「俺が倒れた話なら、もう十分反省してる」
「そこじゃない」
クリストルンは胸ポケットから柔らかなリボンを取り出し、そっと膝に置いた。
「椿のリボンの話」
モンジェの視線が、ゆっくり娘へ向く。
「お父さんが作れなかった続き。あれ、私が作っていい?」
病室が静まり返る。
遠くで看護師の足音がして、それが通り過ぎるまで、モンジェは何も言わなかった。
やがて、大きな手がシーツの上で少し動く。
「終わらせろ」
短い言葉だった。
けれど、そこに込められた重さは分かる。
「おまえが、終わらせろ」
クリストルンは息を飲む。
託されたのだと、ようやく実感した。
「でも、私まだ新入社員だし」
「知ってる」
「材料費も場所もないし」
「それも知ってる」
「会社に戻れるかも分からないし」
モンジェはそこで、少しだけ口元を上げた。
「だから面白いんだろ」
あまりにも父らしい返しに、クリストルンは泣き笑いになる。
「人の人生、何だと思ってるの」
「おもちゃづくりと同じだ。予定どおりにいかないほうが、記憶に残る」
その理屈は無茶苦茶だ。けれど、無茶苦茶なまま前を向く力を、この人は昔から持っていた。
クリストルンは何度もうなずいた。
「分かった。私が作る」
言葉にした瞬間、怖さより先に覚悟が来た。
父の夢の続きを、自分の手で形にする。そのためなら、回り道でも、遠回りでも、全部歩く。
ちょうどそのとき、病室の扉が勢いよく開いた。
「なら、作業場が要るね!」
場に似つかわしくない明るい声に、二人そろって振り向く。
ヒューバートだった。片手に花、片手に古びた工具箱まで持っている。
「病室だよ!?」
クリストルンが小声で叫ぶ。
「知ってるよ。でも、ひらめきは待ってくれない」
後ろからペトロニオが顔を出し、申し訳なさそうに手を上げた。
「止めたんだけど、止まらなかった」
さらにその後ろで、ディトが深いため息をつく。
「工具は置いて帰れ」
急に病室が騒がしくなった。
静けさしかなかった場所に、いつもの面々の息遣いが入り込む。
ヒューバートはベッド脇まで来ると、きらきらした目で言った。
「質屋の奥座敷、片づければ十分いける。古布もある。雰囲気もある。何より、物語がある」
モンジェが呆れたように鼻を鳴らす。
「勝手に人の店を工房にするな」
「でも嫌いじゃない顔してる」
図星らしく、モンジェは黙った。
クリストルンは、父と仲間たちを見回す。
昨日まで止まったと思っていたものが、また少しだけ動き出している。
会社の外でも、できることはある。
いや、外だからこそ届く形があるのかもしれない。
クリストルンはリボンを握りしめた。
「続きは、私が作る」
その宣言に、病室の空気がわずかに明るくなる。
モンジェは目を閉じ、満足そうにひとつ息をついた。
新しいおもちゃは、まだ形もない。
けれど、ここから始まる。
父から娘へ渡された夢の続きを、今度は娘が、自分の足で運んでいく番だった。
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#親子愛