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空乃 美晴
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雨晒しの原稿用紙
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月椿堂の奥座敷は、半日で見違えるほど散らかった。
「片づけたんじゃなくて、散らかったんだよね?」
クリストルンが額の汗をぬぐいながら言うと、ヒューバートは床いっぱいに広げた古布の上で胸を張った。
「創作の場は、最初に一度きれいに乱れるものだよ」
「意味が分かりません」
「私にも分からん」
ディトが即座に切り捨てる。
障子の向こうでは、春の午後の光がやわらかく差していた。畳の上には工具箱、布見本、綿の袋、録音部品の試作品、古いぬいぐるみの耳だけを集めた箱まで並んでいる。質屋の奥座敷は、いつの間にか小さな開発室になっていた。
ペトロニオは店先から顔を出す。
「常連さんが、今日の月椿堂は何屋さんですかって」
「正直に言って。質屋兼おもちゃ開発室」
「言ったら笑いながら帰ってった」
「それはそれでよし」
モンジェが病院からの通話で言う。スピーカー越しの声はまだ本調子ではないが、いつもの大きさが戻ってきていた。
クリストルンは畳の真ん中に正座し、ノートを開く。
「じゃあ、まず整理する。作りたいのは、親が子に短い声を預けられるぬいぐるみ。派手じゃなくて、抱きしめたくなるやつ」
「声の仕組みは簡単ではない」
ディトが無表情に言う。
「でも無理ではないでしょ」
「無理じゃない。面倒なだけだ」
「その言い方、ちょっと好きです」
ルチノは障子の脇に寄りかかり、広げられた部材を静かに見渡していた。
「会社の設備は使えない。安全試験も簡易の範囲しかできない。だから設計の段階で危険をつぶす」
「はい」
クリストルンは返事をしながら、ふと胸ポケットのリボンに触れた。
ないものは多い。
けれど、ここには今、誰も奪えないものがある。
父から渡された続きを作る覚悟。信じて集まってくれた人たちの手。質屋に流れてきた、たくさんの記憶。
「よし」
クリストルンは顔を上げた。
「月椿堂、臨時開発室。開店です」
その宣言に、ヒューバートが拍手をし、ペトロニオが店の鈴を鳴らし、ディトが面倒くさそうにドライバーを回した。
障子の外から、夕方の風がすっと入り込む。
質屋の奥で始まった小さな再起は、思ったよりにぎやかな音を立てて動き出した。