テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
本当は、結婚式の二次会に参加するつもりはなかった。花嫁の身内だし、そこに参加する理由も特になかったからだ。
けれど、凛が顔を出したいと言い出した。栞に祝いの言葉をぜひ伝えたいし、瑞月もいるなら久しぶりに会いたいのだと訴えかけてきた。
『俺がいなくたって問題ないだろう』
しかし会話の中で凛はこんなことを言う。
『二次会なんてものは、そういう目的の輩が多いって決まってんのよ。瑞月ちゃんに変なムシがついてもいいわけ?』
凛の言葉を聞いたら、瑞月のことが心配でたまらなくなった。凛がその役目を負ってくれればいいという発想は全くなく、結局俺もその二次会に参加することにした。しかし俺の心配は無意味だったことを、披露宴の時に知ってしまう。
その時のショックを思い出してため息をついた時、店のドアが開いた。
凛だった。きりっとしたブラックスーツに身を包み、小ぶりな花束を抱えていた。
早速凛に気づいた栞が、彼の前にいそいそと近寄って行った。
凛から花束を贈られて、栞はとても嬉しそうだ。
後で兄として礼を言っておこうと思っているうちに、凛はすでにこちらに向かって来ていた。
俺の目の前に座り、不思議そうな顔をする。
「久しぶり。というか、どうしてこんな端っこにいるのよ」
「なんとなく」
俺は曖昧に笑った。俺にとってこの場所は、実はベストポジションなのだ。ここからだと店全体が見渡せて都合がいい。
凛は俺の顔をしげしげと見ていたが、意味深な笑みを浮かべた。
「ふふん。早速、ムシのチェックってわけね」
「身内は大人しくしていた方がいいだろ」
「心配なら隣に行くか、こっちに呼べばいいじゃない。そんな顔していないでさ」
凛の声には呆れた響きが混じっている。
俺は彼の視線を避けて顔を背けた。しかし、目だけは一点から動かさない。そこには瑞月がいるから。
「……ムシなら、もうついた」
「え?瑞月ちゃんに、彼ができたってこと?」
「披露宴でちょっと話した時に聞いたんだ。しかもあいつ、花みたいな甘い香り、させてた」
何年か前、ある小さな事件があった。その時の瑞月との会話を思い出して、胸の奥にちくりとした痛みが走る。
「香り?香水かなんか、つけてたってこと?だってそれは、別に普通でしょ」
「そうだよな。そうなんだけどさ……。とうとう瑞月も大人になってしまったんだな、って……」
「それはまぁ、ねぇ……。男ができてもおかしくないお年頃なわけだからね」
「男とか言うな。もうちょっとオブラートに包めよ」
「やぁねぇ、苛々しちゃって。あぁ、そうか。『男』っていう言い方に生々しさを感じちゃうわけね。でもさ。彼氏がいるんなら、特に理由がなければ、普通に体の関係はあるでしょうね。というか、そうやって相手の男に嫉妬するくらいだったら、もっと早くに行動を起こせばよかったんじゃないの?」
「うるさいな」
凛はちくりちくりと嫌味交じりの言葉を投げて来る。
俺はそれらから逃げるように、グラスに手を伸ばした。
「あっ!今、隣の男が瑞月ちゃんの肩に触ってるわ」
「えっ!」
俺は手を引っ込めて、背中を預けていた椅子からばっと体を起こした。今すぐ瑞月とそのすぐ隣に座っている男との間に割り込みたくなる。
「あいつ……」
「まったくもう……。おバカさんとしか言いようがないわね」
ますます呆れたような凛の声が耳に刺さった。
「俺だって自分がバカなのは、嫌っていうほど分かってる。だけど仕方ないじゃないか。瑞月は俺のこと、『幼なじみのお兄ちゃん』としか思っていないんだからさ」
「そうやって言い訳して、忙しさにかまけてグダグダしていたら、他の男に獲られてしまった、というわけだ」
「分かってる、って。きっといつか、瑞月が俺を男として見てくれる日が来るかも、なんて淡い希望を持って、悠長に構えてたのが悪いんだ。だけどさ……」
凛がなんとも言えない顔で俺を見ている。
俺は水滴がまとわりついた水割りのグラスをくいっとあおった。
「小さい頃からずっと一緒にいた。小学から中学は、周りはみんな知り合いだらけで、栞も一緒だったし、高校は女子校だった。大学に入ってからだって目の届くところにいたから、安心していたんだ。根拠なんて何もないのに、あとはもう大丈夫だろう、なんてさ。これから先、ゆっくりと時間をかけて、俺の気持ちに気づかせていけばいい、そんな風に思ってた。それにあんなことがあったから、瑞月もさすがに、多少なりとも俺を男として意識するようになるんじゃないかって、期待してしまったんだ」
「あんなことって何?何かあったわけ?」
「あ、いや、その……」
うっかり口を滑らせてしまい、俺は目を泳がせた。
大学時代、俺はある女性に付きまとわれていた。彼女に諦めてもらうため、瑞月に恋人のふりをさせたことがあった。その時証拠を見せろと言われて、俺は瑞月にキスをした。
ファーストキスだったのにと涙目で言う瑞月から、絶交かペナルティを受けるか、どちらかを選べと告げられた。当然、絶交なんて耐えられるわけがない。俺はペナルティを受け入れて、やっと瑞月に許してもらうことができたのだった。
その後の瑞月は、俺を前にして時折気まずい顔を見せることもあった。しかし、それだけだった。そのキスを境に俺たちの関係が変わるかもしれないという希望は見事に砕け散り、結局俺は、彼女の幼馴染みという立場のままだった。
俺は小さくため息をつきながら瑞月を見た。今は、栞を含めた女性たちと一緒に笑い合っている。それを確かめてほっとする。
凛がからかうように、けれど心配そうに言う。
「それでどうするの?このまま気持ちを伝えないで、完全にすっぱりと諦めちゃうわけ?」
「そうできたら、楽だろうな」
俺は苦笑しながら昔のことを思い出す。過去に、瑞月のことを諦められるかもしれない、いや、もう諦めようと思ったことがなかったわけではない。
あの小さな事件の後しばらくたってから、当時俺に好意を持ってくれていた女性と付き合ってみたことがあった。付き合い始めたばかりということもあって、栞にも凛にも、そして瑞月にも内緒にしての交際だった。俺も彼女のことは嫌いではなかったから、このまま気持ちが育っていけばいいと思っていた。
そんなある日、俺がその彼女と一緒にいるところを凛に見られた。見られたことはまずくはなかったが、気まずかった。凛は、俺の複雑な想いを知っていたから。
後日会った時、彼は言ったのだ。
「遠目に見た時、てっきり瑞月ちゃんと歩いているのかと思っちゃった」
何気ない凛の言葉に、俺は気づいてしまった。彼女その人を好きだと思っていたが、実際は違っていたのだ。俺は彼女の向こう側に瑞月を見て、瑞月を求めていたのだ。やっぱり瑞月を簡単には諦められないと思った瞬間でもあった。
「諒ちゃん、凛ちゃん。二人とも、どうしてこんな端っこにいるの?」
聞き慣れた声がした。瑞月だった。嬉しいような悲しいような複雑な思いを抱きつつも、胸はときめく。その気持ちを隠したまま俺は彼女に微笑む。
「俺たちは身内だからな。混ざらない方が盛り上がるだろ」
「何それ」
可笑しそうに笑う瑞月に凛が声をかける。
「瑞月ちゃん、元気そうね。あらまぁ、なんだか女らしくなったんじゃないの?」
瑞月は軽く唇を突き出して文句を口にする。
「今の言い方だと、これまでの私が、女じゃなかったみたいに聞こえるんだけどな」
ほろ酔い気味なのか、その口調はどことなく頼りなげだ。瑞月は空いていた俺の隣の席にすとんと腰を下ろした。
「今までは『女の子』だったのが、素敵な女性になったってことよ。ねぇ、諒?」
凛はくすくすと笑いながら、俺に同意を求めるように話を振った。
俺は心の中で舌打ちする。
ねぇ、って、俺に何を言わせたいんだ。さすが瑞月の従兄、意地悪なやつだ……。
しかし俺は笑顔を作る。
「凛の言う通りだよ。そう言えば、栞からブーケもらってたよな。近い将来、瑞月のウェディングドレス姿が見られるかな。楽しみだ」
凛が眉をひそめたのが分かった。けれど、今の俺はこんな風にしか言えない。瑞月の心を俺の方に傾けさせるような甘い言葉は、すぐには思い浮かばない。酒の席で本心を紛れ込ませた言葉を口にしたとしても、きっと冗談にしか聞こえない。それ以前に、瑞月には結婚を意識している恋人がいるのだ。
凛の言う通り、まったくバカだよな――。
瑞月は嬉しそうに凛と話している。
俺は苦しい思いを隠して、愛おしい彼女の横顔を眺めていた。
コメント
1件
切ないねぇ。凛ちゃんの言う通り自分の気持ち伝えなくて良いの?