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睡蓮と木蓮が衝突している同時刻、叶夫妻と雅樹は料亭の座敷で酒を酌み交わしていた。雅樹はお猪口から溢れる思いを飲み干し、二人の前で平伏した。
「雅樹くん、いきなりどうしたんだ」
「叶さん、申し訳ありません」
「どうしたんだ」
雅樹は顔を挙げると叶蓮二の目を凝視した。
「この度の縁談ですが一旦、白紙にして頂けませんか」
「どう言う事ですか」
雅樹は大きく息を吸い込み深く吐いた。
「睡蓮さん、木蓮さんとお会いした後、僕はイタリアに出張していました」
「そうだね」
「その間、父から叶さんへ睡蓮さんとの縁談について話があったと思いますがそこに僕の意思は有りません」
夫と雅樹の顔を交互に見た叶美咲は顔色を変えた。
「す、睡蓮と結婚する気はないと仰るんですか」
「睡蓮はもう雅樹くんと結婚するつもりで居るんだよ、それを今更」
「申し訳ありません」
「この話はお父さん方はご存知なのか」
「いえ、僕の一存です」
雅樹はもう一度頭を下げた。
「僕は木蓮さんに指輪を渡しました」
「ゆ、指輪」
「イタリア土産です」
「………み、土産ですか」
蓮二と美咲は土産物だと聞き安堵したが、雅樹の次の言葉に仰天した。
「僕は木蓮さんとお付き合いさせて頂きたいと思っています」
「木蓮、木蓮ですか」
「木蓮さんはその気ではないと思います」
「なら、このまま睡蓮と!」
「…………..一旦、白紙にさせて下さい、お願いします」
雅樹は畳に指を突き、深く深く頭を下げた。
この一件を知った和田雅次と百合は激昂した。
「雅樹!これはどう言う事だ!」
「雅樹さん………….先ずは仲人さんにご相談するものよ」
「相談もなにも!彼方さんは睡蓮さんで、と仰っていたんだぞ!」
初めは下を向いていた雅樹だったが一方的な両親の言い分に、思わず椅子から立ち上がった。
「俺の気持ちはどうなるんだ!」
「雅樹さんはどちらのお嬢さんが良かったの、まさか木蓮さん」
「そうだよ、あいつと居ると楽しいんだよ!」
「あいつ、おまえたちはそういった仲なのか!」
「な訳ないだろ!知り合ってまだ一ヶ月だぞ!」
夫と息子の激しい言い争いに戸惑った百合は雅樹の腕を握った。
「雅樹さん、落ち着いて頂戴。和田の家に相応しいのは睡蓮さんよ。親類縁者のお付き合いもある事だし、作法の心得がない木蓮さんは苦労すると思うわ」
「…………そうかもしれないけれど」
「しかも木蓮さんにはその気が無いんだろう」
「まだ分からない!」
「おまえはもう29、来年には30歳になるんだぞ!高校生みたいに駄々をこねて恥ずかしく無いのか!」
「………….」
「雅樹さん、お父さんの気持ちも汲んであげて」
和田雅次には兄が居た。跡継ぎは兄と決まっていたが自動車事故で急逝。外国資本の企業が進出する中、和田医療事務機器株式会社を一身に背負った雅次は会社存続の為に東奔西走していた。そこで叶製薬株式会社との提携は大きな後ろ盾となる。
「とにかく、この縁談は続けるぞ」
「俺は木蓮が良い!」
「睡蓮さんも木蓮さんも同じ顔じゃないか、それで充分だろう!」
頭に血が昇った雅樹はテーブルを握り拳で叩いた。
「あの二人は別の人間だ!同じじゃ無い!」
「お父さん、それは言い過ぎよ、雅樹さんに謝って頂戴、ね」
「百合が甘やかすからこんな事になるんだ!」
「まあ、酷い!」
「とにかく、叶家との縁談は続ける!おまえに選択肢はない!もう寝る!」
雅次はリビングの扉を激しく閉めた。取り残された二人は気不味く、柱時計の振り子が規則的に揺れた。
「雅樹さん、結婚は楽しいだけのものじゃ無いのよ」
「分かってるよ」
「木蓮さんも気立の良いお嬢さんなのは分かるわ。けれど、あぁ、困ったわ」
「…………….ごめん」
父親の怒りも母親の悩みも良く解る。然し乍ら雅樹の心は、深紅の指輪を木蓮の左手の薬指に嵌めた時から決まっていた。
叶家の座敷机には白いレースのハンカチに包まれた深紅の指輪があった。そこには泣き腫らした目の睡蓮、気不味い顔の木蓮、困惑した蓮二と美咲の姿があった。
「………….睡蓮、雅樹くんから」
「あなた」
「黙っていてもいつか分かる事だ」
「そうですけれど」
その雰囲気からなにかを察した睡蓮の頬に涙が伝った。
「睡蓮、今回の縁談は一旦白紙にして欲しいと話があった」
「白紙にってどう言う事よ!」
睡蓮の心情を代弁するかの様に木蓮が父親に詰め寄った。
「お、おまえが原因だ」
「はぁー!?私が原因ってどういう事よ!」
「これだ」
ハンカチを捲ると深紅のガラスの指輪が光を弾いていた。
「…………..このおもちゃの指輪がどうしたのよ」
「雅樹くんが、おまえと付き合いたいと言って来た」
「はぁ!?睡蓮があいつの婚約者でしょう!?」
「あいつ、あいつと呼び合う仲なのか」
「まさか!鳥肌が立つわ!」
睡蓮が木蓮のシャツを掴んだ。
「良いの、婚約者だなんて結納も済ませていないし」
「………..だって!」
「雅樹さんの気持ちを聞いた事は無いわ」
「そうかもしれないけれど、睡蓮はあいつと結婚したいんでしょ!」
「……….したいわ」
「なら!」
その視線は深紅のヴェネチアンガラスの指輪へと注がれた。
「お見合いの後、雅樹さんはイタリアに出張に行ったわ」
「そうね」
「その間に私が雅樹さんとお付き合いする事になったわ」
「そうね」
「雅樹さんはその事を知らなかったと思うの」
「えええ、まさか」
「その証拠がこれよ」
蓮二が指輪を電灯の明かりに透かすと文字が浮かび上がった。
for mokuren masaki
「ただの土産物だろう」
「でもあなた、名前が彫られているわ」
「すっ、睡蓮への土産はあんな立派なネックレスだったじゃないか」
「お金で買えない物もあるわ」
「……………」
「雅樹さんが好きなのは木蓮よ」
木蓮はその指輪を取り上げるとポケットに入れた。
「睡蓮が自分からなにかを欲しいなんて言うのは生まれて初めてじゃない!」
「雅樹さんは物じゃないわ」
「でも欲しいんでしょ!結婚したいんでしょ!」
睡蓮は小さく頷いた。
「あいつと話をつけて来るから!お父さんもあんな若造の言う事に振り回されないで!しっかりして!」
「そ、そうか」
「木蓮、良いの?」
「なにが」
双子だからこそ感じるものがある。木蓮も雅樹に好意を抱いていると睡蓮は直感した。