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掃除用具室。
鍵をかける音が、軽く鳴った。
そこは、「今日」の場所だった。
「ちゃんと目、こっち向けろよ」
「おい、ビビってんの? 早くやれって」
「ほら、制服脱がせて。手間かけさせんなよ」
背中を押しつけられ、硬い棚の角が骨に当たる。
雑巾のカビ臭と、スプレーの薬品臭。
その中で、数人の笑い声が響いた。
「昨日よりマシじゃね?」
「いや、こいつ喘がねえし。反応薄くてつまんね」
「じゃあ、“追加”するか? 蹴る? 殴る? それとも──」
遥の唇が、わずかに動いた。
「……てめぇら、何がしたいんだよ」
言葉は、誰にも届かない。
返ってきたのは、笑いながらの蹴りだった。
「なに? 反抗期?」
「でも、声ちょっと出たね。やっと“ポイント”取れるかも」
ボタンをちぎる音、スニーカーで踏まれる手の甲。
誰かのスマホが光っていた。
「撮っとく? 証拠? 記念?」
「泣かせたほうが勝ちだっけ? それとも、勃たせたほう?」
「おまえ、喘げよ。黙ってんじゃねえよ。つまんねーんだよ」
遥は何も言わない。
言葉を飲み込みながら、爪を握った拳に突き立てた。
それでも、目は逸らさなかった。誰からも。
「──つまんね。行こ」
ガタ、とドアが開く。
最後の一人が出るとき、言い捨てるように笑った。
「壊れかけた人形って、壊しがいねえな」
扉が閉まる。
掃除用具室には、乱れた制服と浅い呼吸音だけが残った。
その十数秒後。
ドアが静かに開く音がした。
日下部だった。
すれ違った誰かに、「新入り?」と聞かれ、軽く手を挙げて返しただけ。
目の奥は、どこか濁っていた。
視線が、中にいる遥を捉える。
ベルトが緩み、襟元のボタンが引きちぎれたまま、しゃがみ込んでいた。
「……相変わらずだな、おまえ」
声は、無機質に冷たかった。
遥の目が、ビクリと震える。
(な、んで……ここに)
身体が動かない。
痛みと熱と、なにより恐怖で、足先が重い。
日下部は一歩、ゆっくりと足を踏み入れた。
「おまえ、昔からそうだった。家の裏の塀んとこで、ずっとしゃがんでたよな。何してんだろ、って思ってた」
「……っ、」
遥の目が見開かれた。
視線が震え、日下部に向けられたときには、怒りよりも、恐怖が勝っていた。
「何の話、してんだよ」
日下部は黙っていた。
目は、遥の服の乱れと、手の震えを見ていた。
(バラす……つもりなのか)
遥の喉が鳴る。
声が、漏れた。
「“あっち”のこと……知ってたのかよ」
日下部は一瞬、目を細めた。
「誰にも言わなかったよな、おまえ。家のこと。誰にも」
「……言うなよ。絶対、言うな」
「オレだけのもんなんだ。オレが背負ってんだよ。誰にも渡してねぇ」
息が荒くなる。
押し殺したはずの恐怖が、音に変わって口からこぼれる。
「バラされたら、オレ──」
言葉は途切れた。
もう立てなかった。
日下部は、何も言わず、その場に立ち尽くしていた。
外の廊下からは、誰かの笑い声がかすかに響いていた。