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そして、ついに土曜日がやってきた。
昨夜、透也と夏帆は大忙しだった。
夏帆の家具や荷物を透也の部屋へ運び込み、デリバリーの夕食を食べながら入念な打ち合わせをした。
今日は、透也が例のシチューを作ってくれるらしい。
午前十一時に夏帆が部屋を訪れると、前回と同じ、食欲をそそる香りが部屋いっぱいに漂っていた。
「いい匂い~」
「今日はちゃんとバターも入れたから、完璧だよ」
「わあ、楽しみ!」
夏帆は心からシチューを楽しみにしていた。
リビングを見回すと、真っ白な壁の前にお気に入りのチェストが鎮座している。目立つ位置だ。
夏帆はその上に、持ってきた雑貨を飾った。
それに気づいた透也が、キッチンから声をかける。
「細かいものがあると生活感が出ていいね」
「はい。でも、前の部屋に比べたらだいぶ物が少ないかも」
「俺たちはミニマリストなんだって言えばいいんじゃない? 実際そうだし」
「それはいい案かも」
夏帆は大きくうなずき、透也の手伝いをするためキッチンへ向かった。
準備が整ったころ、ちょうど正午になった。
二人は、紗英が来るのを今か今かと待ち構えていた。
ソファに並んで座ると、透也が改めて口を開く。
「夏帆ちゃん、いい?」
「はい?」
「俺たちがラブラブのカップルだと思わせるには、多少オーバーな演技も必要かもしれない」
「はあ……」
「だから、必要に応じて軽いボディタッチをするかもしれないけど、我慢してね」
(ええっ!? ボディタッチ?)
夏帆は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
そこで、今まで透也に言ってなかったことを明かす。
「大丈夫です。私、高校時代、演劇部でしたから」
透也は目を見開いた。
「まじで?」
「はい。部長もやってました」
「そっかあ。それなら話は早い! 夏帆ちゃんには最高の女優を演じてもらわないと」
「お任せください。そんなの朝飯前ですから」
夏帆はにっこり微笑み、昔の自分を思い出す。
舞台で抱擁シーンを演じたこともある彼女にとって、恋人のふりなど簡単なことだった。
そのとき、インターホンが鳴った。
画面には、にっこり微笑んでいる紗英が映っている。
透也が返事をし、二人は玄関へ向かった。
ドアを開けると、ご機嫌な様子の紗英が立っていた。
夏帆はこれまで紗英の私服を何度も見てきたが、今日はかなり攻めている。
胸元の大きく開いたミニワンピースに、白く細いうなじを見せるように髪をアップにしていた。
気合の入り方が一目で分かる。
しかし透也は顔色一つ変えなかった。
さすが、人生でモテまくってきた男は余裕が違う。
これがもし駿介だったら、鼻の下を伸ばしていたに違いない。
「いらっしゃい、どうぞ入って」
「おじゃましま~す♡」
三人はリビングへ移動した。
「うわぁ~、素敵なお住まい。すっきりして、まるで高級ホテルみたい!」
紗英は室内を物色するようにじろじろ見回す。
その視界の隅に見覚えのあるチェストを見つけ、笑顔が一瞬ひきつった。
「これ、藤田さんのですよね?」
「ええ。前にうちに来たとき、あったでしょう?」
「はい。すごく素敵で覚えてました。でも、あれ~? 一緒に住んでるのに、藤田さんの家具ってこれだけですか?」
鋭い突っ込みに、夏帆は思わず身を固くした。
紗英はまだ疑っているようだ。
そこで透也が、余裕の笑みを浮かべながら口を開いた。
「俺たち、ミニマリストなんだよ。ね、夏帆ちゃん」
「ええ。引っ越しのときにほとんど処分してきたの。透也さんが身ひとつでおいでって言ってくれたから」
夏帆はそう言って、うっとりと透也を見つめた。
“女優”夏帆の演技が始まると、透也もそれに合わせて応じる。
彼女の腰に腕を回し引き寄せ、まっすぐ見つめ返すその仕草は、どう見ても相思相愛の恋人同士だった。
「あ、なるほど! そういうことなんですね~」
二人のラブラブぶりにはあえて気づかないふりをしながら、紗英は引きつった笑顔を浮かべている。
(“身ひとつで来い”? はあっ! ノロケてんじゃないわよ!)
表情は笑顔でも、腹の中は煮えくり返っていた。
それも無理はない。
今や経済界で注目の的であるハイスぺ億万長者と暮らしているのは、自分よりも下にいてほしいはずの夏帆なのだ。
悔しさで胸がいっぱいになるのも当然だった。
「結城さん、座ってください。お昼にしましょう」
「はあ~い♡ でもその前に、他のお部屋も見せてもらってもいいですか?」
(ええっ! なんて図々しいの! この常識知らずが!)
まだよく知らない相手の家に上がり込んだうえ、寝室や仕事場まで見たいと言い出すとは。
夏帆は呆れて口をあんぐり開けた。
しかし透也は、まるで予想していたかのように軽く返す。
「いいですよ。散らかってるけどどうぞ」
「わぁ♡ ありがとうございます」
夏帆が小声で「大丈夫?」と尋ねると、透也は笑顔でうんと頷いた。
「じゃあ、こちらへ」
透也は紗英を案内し、まずはトレードルームへ。
夏帆でさえ入ったことのない部屋だ。
部屋に入った瞬間、夏帆は思わず息をのんだ。
そこにはマルチ画面やパソコンが何台も並び、まるで会社のデスクがそのまま移動してきたような光景が広がっていた。
(すごい……)
高価で最新の機器類が並ぶ部屋を見た紗英も、思わず声を漏らす。
「すご~い! ここでトレードするんですか?」
「今はあんまりだけど、会社を作る前はね」
「そうなんだぁ~」
紗英は感心したように頷き、続けて言う。
「寝室も見せていただいていいですか?」
「どうぞ。こっちです」
言いにくいことをさらりと言ってのける紗英に、夏帆はほとほと呆れた。
(この人、本当に常識ってものがないのね……)
そう思いながら、夏帆は二人のあとに続いた。
初めて入る寝室は、すっきりとシンプルで、ベッドとナイトテーブル、窓際のテーブルセット以外は何もない。
窓からは公園の緑が見え、空には遮るものがなく、まるで都心の一等地にあるホテルの一室のようだった。
そのとき、夏帆はあるものに気づく。
(あれ? あそこにあるの、私の部屋着?)
今日、透也に言われて部屋着を持ってきた。
それがくしゃっと乱れたベッドの上に置かれている。
(やだ……まるで昨夜二人で愛し合ったみたいじゃないの……)
夏帆は思わず頬を赤らめた。
その様子を見た紗英は、夏帆が昨夜の甘い時間を思い出しているのだと勘違いし、ムッとした表情になる。
「本当に散らかっててごめんね。でも俺たち、朝はゆっくりここで過ごすから、いつもこんな感じなんだ。ね、夏帆?」
突然振られた夏帆は、ハッとして“女優”を思い出す。
「ええ。もう、透也さんったらしつこくて朝から離してくれないんだもん」
我ながら完璧な返しだと思った。
すると透也が調子に乗り、夏帆を引き寄せて耳元で囁く。
「それは、君が魅力的すぎるからだろう?」
甘い吐息が耳にかかり、夏帆は体中から力が抜け、思わず崩れ落ちそうになる。
しかし“女優”を続けるため、なんとか返す。
「やだ……透也さんったら♡」
「あはは。全部愛しい君のせいなんだからな」
透也はそう言って、夏帆の頭に軽くキスを落とした。
紗英は引きつった笑いを浮かべながら言う。
「あ、ありがとうございます。お部屋を見て、イメージが湧きました」
「それはよかった。じゃあ、ランチにしましょう」
促されると、紗英は急に携帯を見ながら作り笑いを浮かべた。
「あっ……すみません、ちょっと急用が……」
透也が眉をひそめる。
「えっ? 用意はもうできてますから、食べてからでも……」
「いえ、すぐに行かないと……。ほんとにすみません、今日はここで失礼します」
紗英は敗北を悟ったのだろう。
慌ててリビングにバッグを取りに行くと、そのまま玄関へ向かった。
「お邪魔しました。では、失礼します」
「気を付けて」
玄関のドアがぱたんと閉まると、透也と夏帆は少し間を置いてから声を上げた。
「夏帆ちゃん、やったな! 逃げるように帰ったぞ」
「ふふっ、大成功! あ~気分爽快!」
二人は嬉しさのあまり抱き合って跳ねた。
その瞬間、透也のたくましい筋肉が夏帆の体に触れ、彼女はハッとして慌てて身を離した。
(やばっ……)
胸の鼓動が透也に聞こえてしまいそうで、夏帆は思わず息をのんだ。
しかし、透也はまったく気づいていないようだった。
「せっかく美味しいシチュー作ったのになあ……。しょうがない。二人で食べますか」
「はーい」
勝利のランチを味わうため、二人は笑顔でリビングへ戻っていった。
コメント
17件

そうかー、なんか仕掛けていった?そんなことはできないかぁ。それにしても退散が早い!
え⁉️早すぎない⁉️ 何か忘れ物とかわざとしてない⁉️
きゃー♡ 二人の演技、リアル過ぎて最高です♡ 紗英、まだ認めてはなさそうだけど、とりあえず追い払えて良かった😌🙌 二人でゆっくりシチューを食べましょ~!!