車は三軒茶屋へ向かって走っていた。
久しぶりに乗った直也の車は、懐かしい香りが漂っている。
窓の外を流れる景色を眺めながら、栞はヨットサークルのイベントの帰りに、重森悟の車に乗せてもらった時のことを思い出していた。
あの日、湘南でヨット体験を楽しんだ帰り道、栞は重森に送って行くよと言われた。
初対面で二人きりになるのは気が重かった栞は断ったが、頑なに譲らない重森に折れ、仕方なくその申し出を受けた。
重森の助手席を狙っていた女子学生たちの鋭い視線が痛かったことを、栞は今でも覚えている。
車中では、最初、当たり障りのない会話が続いていたが、重森は次第に際どい話題へと切り替えた。
栞の容姿が自分の理想に近いことや、栞への興味を語り始めたかと思うと、さらに彼女の交際歴などプライベートな領域にまで踏み込んでくる。
挙句の果てに、「どんなセックスが好みか」など、信じられないような下品な質問まで投げかけてきたので、栞は信じられない思いでいた。
重森はおそらく、栞に恋愛経験がないことを見抜いていたのだろう。
だから、あえて過激な質問を投げかけ、その反応を見て楽しんでいたのかもしれない。
思い返すだけでも、不快な出来事だった。
その時、直也が言った。
「そういえば、昨日の午後、西校舎の隣のカフェにいたよね?」
「はい。先生もいたのですか?」
「うん、コーヒー飲んでた」
(全然気づかなかった……)
心の中で呟くと、栞は微笑みながら言った。
「あのカフェは、一番のお気に入りなんです」
「ああ、あそこは窓から新緑が見えて落ち着くよね」
「はい。秋は紅葉も綺麗だし」
「たしかに! ところで、あの時、男子学生に話しかけられてたよね? あれは誰?」
そう聞かれた栞は驚いた。直也は、栞と重森のやりとりを目にしていたのだ。
「あの人は、友人が入っているサークルの方で、医学部の四年生です」
「医学部ってことは……もしかしてヨット部?」
「え? なんで分かるんですか?」
「医学部といえばヨット部が有名だからね。あそこは医学部の奴らのたまり場だから」
「先生もヨット部だったんですか?」
「違うよ。俺は軽音のサークル!」
『軽音』という言葉を聞いて、栞は驚いた。
「え? 先生、音楽もやってたんですか?」
「うん、そうよ。で、あいつに何を言われたの?」
「ご飯を食べに行かないかって……」
「なるほど。で、返事はどう言ったの?」
「断りました。私、あの人、苦手なんで…….」
栞の答えを聞いた直也は、思わず「プハッ」と噴き出した。
「アハハ……なんで苦手なんだ? 見た感じ、かなりのイケメンだったよね?」
直也はそう尋ねながら、まだ笑っている。
「何がそんなに可笑しいのだろう?」と栞は不思議に思った。
「先生! なんでそんなに笑うんですか?」
「だってさ、普通なら嬉しいでしょ? ハイスペックな医学部生に誘われたら」
「じゃあ、きっと私は普通じゃないのかもしれません」
栞がムッとして言ったので、直也はまた声を上げて笑った。
そして、少し笑いが落ち着いたところで、こう尋ねた。
「奴の何が嫌なの?」
「うーん……自信過剰過ぎるところ……? ううん、そうじゃないか……」
栞はなにやらブツブツと言っている。
「何がそうじゃないんだ?」
「えっと……たぶん、彼は私に対して『執着』してるだけなんだと思います」
栞の『執着』という言葉を聞いて、直也は一瞬首を傾げた。
「なんかその言葉、どっかで聞いたことがあるような?」
「先生の本です! 自分で書いたことを忘れないでください!」
栞が可愛く怒ったので、また直也は腹を抱えて笑い始めた。
「先生、笑い過ぎです!」
「アハハハッ、だって可笑しいんだもん! こんなに笑ったのは久しぶりだなー」
直也は目尻に溜まった涙を指で拭いながら笑っている。しかし、急に真面目な顔をしてこう続けた。
「僕の本で、ちゃんと学習したんだね」
「もちろんです! あの二冊の本も、私にとってはバイブルですから」
「でもさ、そんなに気嫌いするほど嫌な奴なの? パッと見、そんな風に見えなかったけど」
「そんなことないです! あの人はほんと最低の人ですから!」
「いったいあいつに何を言われたんだ?」
「……..」
「嫌だったら、無理して言わなくていいよ」
その言葉は、クリニックで診察を受けた時に聞いたものと同じだった。
直也の言葉には、不思議とすべてを話したくなるような魔法の力がある。
そこで、栞は仕方なく重い口を開いた。
「ヨット部のイベントの帰りに、彼に家まで送ってもらったんですけど、その時に、ちょっと気持ちの悪いことを言われたので……」
「気持ちの悪いこと?」
栞は恥ずかしくて言葉に詰まったが、もし重森が言った言葉を直也が聞いたら、どんな見解を示すのかが気になる。
だから、思い切って話してみることにした。
「はい。どんなセックスが好みかって聞かれました」
栞は話し終えると、当時を思い出しゾッとした表情を浮かべた。
直也はその説明を聞き、心の中でこう思った。
(そうきたか! 若いのに上級者テクニックを使うとは、なかなかやるじゃないか)
思わず苦笑いを浮かべた直也は、さらにこう考える。
(ただし、奴は使い方を間違えたな。そのテクニックは、彼女みたいな初心な子に使うもんじゃないんだよ。アホだな…)
そして直也は、栞にこう言った。
「奴は遊びだ」
「やっぱりそうですよね?」
「うん。好きな女に、普通そんな失礼なことは言わないだろう? 栞ちゃんの判断は正しかったな」
「わー、当たってた! 嬉しい!」
栞は嬉しさのあまり両手を挙げる。
しかし、急にハッとして慌てて言った。
「昨日は失礼なことを言ってすみませんでした! やっぱり先生の本は、すごく役に立ちました」
「おっ、良かった! 昨日はさすがにグサッときたからなぁ」
「すみませんっ!!!」
「ハハッ、冗談冗談! でも、あの本を読んで相手の心理が見抜けたんだね」
「はい! 彼の態度は、あの本に書かれていた『プライドの高い男』のパターンそのままですよね?」
「正解! まさにソレ! いやぁ、僕の書いた本もちゃんと役に立ってるんだなぁ」
「もちろんですよ、先生!」
嬉しそうな笑顔を浮かべ、栞はご機嫌な様子で窓の外を眺めている。
一方、直也は『重森』という男を、心の中でブラックリストに入れておく必要があると考える。
そして、彼は栞にこう話し始めた。
「医学を学んでいるとね、ドーパミンが出まくってセックス依存症みたいになる奴が結構いるんだよ。日頃、解剖なんかの過酷な実習が続くだろう? それで、ストレスが溜まって無意識に快楽で紛らわせようとするんだよ。医学部生や医者に遊び人が多いって言われてるのは、そういう背景もあるんだ」
「へぇー、医学を学ぶのも大変なんですね」
「うん。人間の自己防衛本能なんだろうな。あ、だからって、そういう人間の餌食に栞ちゃんがなる必要はないからね」
「はい。先生の本が私を守ってくれました。本当に助かりました」
その時、車は栞のマンションの前に到着した。
「送っていただき、ありがとうございました」
「ん。じゃ、また来週よろしくね。おやすみ!」
「おやすみなさい」
栞は車から降りると、手を振りながら直也の車を見送った。
コメント
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重森最低....😱 マトモな男が 本気で好きな女性に そんな下品なこと聞くわけないし、ゲーム感覚で女性を口説いてるよね....😠💢 これは確かにブラックリストだよね....🤔 直也先生、栞ちゃんに変な虫が寄り付かないように守ってあげて‼️🙏
重森って華子と付き合ってたんじゃなかったっけ??栞ちゃんが、そんなのと付き合うわけないじゃない! だってずっと直也先生のこと好きな栞ちゃんが、重森なんて選ぶわけないとは、思ってますけどね笑笑
どんなのが好きってどんなんか、おばちゃんも分からん😈