テラーノベル
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……眠い。一瞬でも気を抜けば、そのまま眠ってしまいそう。
いや、もう、眠っているのかもしれない。ぬるま湯に全身を浸らせた時みたいに頭がボーッとしていて、閉じた瞼の隙間からは滲むような赤味がかった黄金色の光が差し込んでいる。
その光の中に身体も意識も溶け出してゆくような感覚。それがとてつもなく、気持ちいい。全身がだるくて何かを考えるのが億劫で、そのまま気が遠くなるのにうちは身を任せようとした。
と、左右に結んだおさげ髪を誰かの小さな手がふれる感触がして――
「あいたっ! ちょ、やめてや!」
ツインテールにくくっている左右のおさげ髪を思いっ切り引っ張られた痛みに、うち、塚森キミカは悲鳴をあげながら立ち上がっていた。
途端に周囲の様子が明瞭となる。うちは教室にいた。毎日、家からバスで通学している学校の教室。窓のカーテンは全て閉ざされ、その隙間から射し込む夕陽の赤がモルタルの床に広がっていた。
正面にはうちと同じくジャージ姿の女の子、同級生の長谷川ユカリが目を丸くしている。
「……ど、どうしたの、キミちゃん?」
慌てて椅子に坐り直したうちに恐る恐ると言った感じでユカリが声をかけてくる。
「ひょっとして――、また何か見えたりした?」
「い、いや、そういうわけちゃうけど……」
うちとユカリは小学校低学年の頃からずっと同じクラス。いわゆる幼馴染というやつだ。お互いの家にはよく出入りしているし、中学生になった今もよく遊んだりすることが多い。うちがクラスの女子のなかでは一番低身長なのとは対照的にユカリは背が高い。そのせいか『電柱』とか『灯台』とか、女の子としてはいささか不本意なあだ名がつけられている。
「だったらいいけど……、もし気分が悪いとかなら早めに言ってね。保健室、連れてってあげるから」
「うん。ありがと」
自然とうちはユカリに微笑み返していた。ちょっとお姉さんぶるところがあるけれど、ユカリは優しい子だ。彼女の気遣いに何度もうちは助けられている。
「それでやねんけど」少しモジモジしてうちは言った。
「……うちらってさ。今、何やってるんやったっけ?」
もともと大きいユカリの瞳がますます大きくなる。
が、すぐ気を取り直したような表情になって、
「……だから、取材。ほら、夏休み前の特集記事の」
と、耳元で囁いて来る。
ああ、そうか。そうやった。
堰を切った洪水のように記憶が溢れかえって来る。寝起き直後で完全に忘れていたが、うちはクラスの新聞委員の一人だった。書きものをするのが好きとか、将来ライターになりたいとかは特にない。クラス全員、何らかの委員に必ず就かなくてはいけなくて、まだ決まってないなら一緒に新聞委員やらない? とユカリに誘われたからだ。
そして、今回、うちらが担当することになったのは――怪談企画。正直に言うとうちはいわゆる怖い話ってやつが嫌いだ。憎んでいると言ってもいい。
理由は単純。怖いからだ。夏の風物詩だか何だか知らないけれど、幽霊だの怪異だの、あんなおぞましいものにまつわる話を聞きたがる世間の人達の気が知れない。
怖いだけならまだしも、聞いただけで命取りってこともあるのに……。
「……ユカリってそういうのに詳しかったっけ?」
「いや、全然。それにどっちかと言えば苦手だよ」
ちょっとユカリが肩をすくめる。それから、うちのすぐ右隣を指さして、
「だから、アキミチ君に来てもらったんじゃない」
「え……?」
目だけでユカリの指先を追いかけて、危うくうちは椅子から転げ落ちそうになる。
うちらと同じ年頃の男の子がいた。ユカリの斜め前、つまりうちの真正面に。うちらと同じように椅子にすわっていた。
嫌味なくらい長い足を組み、こっちを真っ直ぐに見つめながらニヤニヤ笑っている。染めているのか、髪の毛の色は明るい茶色。小づくりな顔は少し女性的で今人気のアイドルによく似ている。
着用しているのはうちらの学校の制服ではなく、見慣れない紺色のブレザーだ。
しばらくの間、うちは言葉一つ、発することができなかった。うちには男の子が突然、そこに現れたように感じられたから。
「あ、あんた、誰……?」うちの声は自分でもおかしいほど震えていた。
「一体、いつからそこにおるん?」
だけど、男の子は肩をすくめるばかりで何も答えない。その端正な顔には相変わらずニヤニヤ笑いが張りついている。助け舟を求めるつもりでうちはユカリの方を見た。
「……キミちゃん、本当に大丈夫?」
ユカリの表情には困惑。再びうちの耳元にそっと口を近づけ、囁くように言う。
「さっき、キミちゃんも一緒にお出迎えしたでしょ? 他校の生徒が校内をウロウロしていたら先生に怒られちゃうからってここまで案内してじゃない」
「……え? ……そうやったっけ?」
くらくらと眩暈がするのを覚えた。男の子とも、ユカリの言うことも、うちには全く覚えがなかった。だけど、ユカリがうちに嘘をつく理由はないし、話の辻褄もあっている。
うちの記憶はあちこちが欠落し、濃い霧がかかったようだった。それを払いのけようとしてもなかなか上手くいかず、ジワジワと気分が悪くなってくる。
と、その時だった。 あっはっはっはっ、と明るく溌剌とした笑い声が教室に響いた。ユカリがアキミチ君と呼んだ男の子が椅子の脚をガタガタさせながら大笑いしていた。
ひとしきり笑い終え、
「いやー。参った参ったー」アキミチ君が目尻に溜まった涙を拭いながら言った。
「僕、名前どころか存在ごと削除されてるじゃん。……キミカちゃんだっけ? 君、面白い子だね?」
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