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夕暮れどき、デシアは一人で橋へ向かった。
今回はサベリオもその意味を知っている。もう胸の奥が勝手に冷えることはなかった。それでも少し離れてついていったのは、見張るためではなく、今度こそ正しい形で見届けたかったからだ。
橋の中央近くで待っていたのは、落ち着いた色の外套を着た中年の男だった。都会の音響学校の選考関係者。最初の周回で遠目に見た時は、ただの不穏な影にしか見えなかった相手だ。
デシアは礼をして、封筒を差し出す前に口を開いた。
「内容を変えました」
男が眉を上げる。
「急に言うね」
「最初は、私一人の作品としてまとめるつもりでした。でも、そうしません」
夕暮れの風が二人の間を抜ける。
デシアはまっすぐ続けた。
「この町で集めた音を、私だけの才能として切り取るのは違うと思いました。橋の音も、雨だれも、避難の記録も、若い人たちの声も、皆で作った夜です。だから町ぐるみの共同作品として提出したいです」
男はすぐには答えなかった。
橋の下の流れを一度見やってから、もう一度デシアを見る。
「無謀だな」
その一言に、サベリオの背中が少しだけ固くなる。
けれどデシアは引かなかった。
「知っています」
「選考は分かりやすい個性を好む。共同作品はぼやけやすい」
「それでも、私が欲しい音はこっちです」
男の口元がわずかにゆるんだ。
「前より、ずっといい顔をするようになった」
デシアはきょとんとしてから、少しだけ笑う。
「正式に見せてみろ」
男は封筒を受け取った。
「事前確認は今夜中に送っておけ。資料も映像も、共同作品として受けるよう掛け合ってみる」
その言葉に、デシアの肩から力が抜けるのが遠目にも分かった。
「ありがとうございます」
男は去り際、橋の端に立つサベリオへ一瞬だけ視線をよこした。見張りではなく、支えに来た人間だと察したのかもしれない。何も言わずに軽く帽子を上げ、そのまま暗くなり始めた道へ消えていく。
デシアはその背を見送ってから、ようやく息を吐いた。
サベリオが近づくと、彼女は少し困ったように笑う。
「聞いてた?」
「半分くらい」
「半分どころじゃない顔してる」
図星だった。
サベリオは橋の欄干に手を置く。
「最初に見た時、変な想像した」
「知ってる。顔に書いてあった」
「ごめん」
「もういいよ」
デシアは封筒のなくなった手を見下ろし、それから空を見上げた。
「これで、やっと隠さずに出せる」
密会なんかじゃなかった。
ずっとこれは、夢と町を両方失わないための交渉だったのだ。
サベリオは同じ橋の上で、前とはまるで違う息の仕方をしている自分に気づいた。
思い込みが一つほどけるたび、春の景色は少しずつ本当の形を見せてくる。
#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
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