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放課後の空は、曇っていた。
夕方なのに、色が薄くて、時間の境目が分からない。
教室の隅。
机を二つ寄せた相談スペースに、女子生徒が座っている。
椅子に深く腰掛けず、少しだけ前に傾いた姿勢だった。
いつでも立ち上がれるみたいに。
「……死にたい、って思うことがあるんです」
声は淡々としていた。
泣きそうでも、取り乱してもいない。
それが逆に、遥の注意を引いた。
遥は何も言わない。
否定も、驚きも、すぐの返事もない。
「ずっとじゃないです」
女子生徒は続ける。
「毎日でもない。
でも、急に来るんです。
夜とか、帰り道とか……
“あ、もういいや”って」
遥は、机の上の影を見ていた。
窓の外の雲が動くたび、形が変わる。
「“消えたい”じゃなくて?」
女子生徒は一瞬考えて、首を振った。
「どっちでもいい感じです。
生きてるのが嫌、っていうより……
生き続ける理由を、考えるのが面倒になる」
遥は、ゆっくり息を吐いた。
「それ、結構しんどいやつだな」
女子生徒の肩が、わずかに動いた。
分かってもらえた、という反応だった。
「周りに言うと、
“大丈夫?”とか、“考えすぎ”って言われます。
でも、考えてるんじゃなくて……
勝手に浮かぶんです」
「浮かぶな」
遥は静かに言う。
「ああいうのは」
女子生徒は、少し驚いた顔をした。
「人の頭ってさ、
限界近いと、
“終わらせたら楽かも”って案を勝手に出してくる」
遥は、生徒の方を見ないまま続ける。
「それは“望み”じゃない。
非常口の表示みたいなもんだ」
「……非常口」
「今すぐ出たいわけじゃない。
でも、“逃げ道がある”って思わないと、
人は耐えられない」
女子生徒は、膝の上で手を組んだ。
「じゃあ……
私がそう思うのは、弱いからじゃないですか」
「逆だ」
遥は即答した。
「そこまで耐えてきたから、出てきた考えだ」
女子生徒の喉が、小さく鳴った。
「……でも」
「ん」
「もし、いつか本当に……
止められなくなったら、って考えると」
遥は、そこで初めて生徒の方を見た。
目は真剣だった。
「それを一人で抱えるな」
言い切りだった。
急かす声ではない。
重さのある声。
「今みたいに、
“言葉にできるうち”に、誰かに出せ」
「遥さん、みたいな人が、
ずっといるわけじゃないじゃないですか」
「そうだな」
遥は否定しない。
「だから、ここだけに置くな」
机を軽く指で叩く。
「信頼できる大人。
学校の外でもいい。
“死にたくなる考えが浮かぶ”って、
事実だけでいいから言え」
女子生徒は俯いた。
「迷惑、じゃないですか」
「迷惑より、
生きてる方が大事だ」
遥の声は低く、揺れなかった。
「それにな、
“死にたい”って考えが来る人は、
本当は“終わらせたい状況”があるだけだ」
「……状況」
「全部じゃない。
今の生活の一部。
そこを誰かと一緒に整理しないと、
頭だけで抱えると、考えが暴走する」
長い沈黙。
教室の時計が、時を刻む。
女子生徒は、ゆっくり顔を上げた。
「……私、
生きたいって思ってるんでしょうか」
遥は少しだけ考えてから答えた。
「少なくとも、
“死にたくなる自分”を、
誰かに見せに来た」
それだけで十分だ、と言わんばかりに。
女子生徒の目に、涙が溜まった。
落ちない。
でも、確かにそこにある。
「今日は、帰れるか」
「……はい」
「帰れ」
遥は穏やかに言う。
「今日は、生き延びたでいい」
女子生徒は立ち上がり、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
「また来い」
遥は短く言った。
「一回で終わる話じゃない」
扉が閉まり、教室に静けさが戻る。
遥は一人、窓の外を見る。
曇り空の向こう、ほんのわずかに明るいところがあった。
「……“死にたくなる”って考えは、
生きたい理由が見えなくなった時に出る」
小さく呟く。
「理由は、後からでいい。
今日は、ただ生きてればいい」
雲が流れ、
空の色が、少しだけ変わった。