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無名の灯 恋愛編

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無名の灯 恋愛編

12 - 第12話 触れられない夜

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2025年07月23日

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人気のない公園のベンチ。夏の夜は、空気の温度だけが取り残されたように重かった。


遥は、日下部の隣に座っていた。

ほんの少しの距離を残して。

だけど、そこが気になった。やけに。


「……暑いな」


遥が口を開いたとき、日下部は缶ジュースのプルタブを開ける音で返した。

なにも答えないけれど、遥はもう慣れていた。


沈黙。

でも、それがきついわけじゃない。

むしろ──


「ねえ、さ」

遥は唐突に、日下部の腕に自分の手を重ねた。

その手は、ほんの少し冷たかった。


「……こういう時って、普通、キスとか……するんじゃないの」


日下部の体が、わずかに硬直するのがわかった。


「……なんで?」


静かな問いだった。


遥は笑った。

皮肉でもなく、愛嬌でもなく。


「だって、夜にふたりきりで。誰もいなくて。……するでしょ、ふつう」


視線を上げた。

その目は、どこか試すような光を帯びていた。


「オレ、そういう風にしか扱われたこと、ないし」


その言葉の裏に、何年もの記憶が詰まっていることを、日下部はもう知っていた。


──なのに、日下部は、ただ遥の手をそっと外した。


「……したくないわけじゃない」


「じゃあ、なんで?」


「今は……それじゃないと思ったから」


沈黙が、鋭利に空気を切った。


遥は笑うこともできず、ただ言葉を失った。

こんなにも「なにもされない」ことが、苦しいなんて思わなかった。


いつもだったら、すぐ脱げる。

誰かの前で、裸になるのなんて慣れた行為だった。

目を閉じて、触れられるのを待つだけ。

そうすれば、何も考えなくて済んだ。


でも──今のこの拒絶は、「価値がない」と言われたようで、胸が冷たくなった。


「……オレ、気持ち悪いよね」


ぽつりと落とした声。

それに、日下部はゆっくりと首を振った。


「……遥が、誰かに“気持ち悪い”って言われすぎて、それが当たり前になってるだけだろ」


遥の喉が、かすかに揺れた。

その言葉が、何かを突いた。


「……ちがうよ。オレが、ほんとにそうなんだよ」


言い返した遥の声は震えていた。


──触れてくれない。

──抱いてくれない。

──抱かれることでしか、自分の居場所を確認できなかったのに。


それが、今は通じない。


遥は、自分の内側が軋む音を聞いた気がした。


それでも、日下部はそっと隣にいた。

なにも触れずに。なにも奪わずに。

ただ──そこにいる。


「……わかんないよ。おまえのほうが、よっぽど残酷だ」


遥は、そう呟いた。


心の奥が、静かに、痛みを持って揺れていた。



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