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人気のない公園のベンチ。夏の夜は、空気の温度だけが取り残されたように重かった。
遥は、日下部の隣に座っていた。
ほんの少しの距離を残して。
だけど、そこが気になった。やけに。
「……暑いな」
遥が口を開いたとき、日下部は缶ジュースのプルタブを開ける音で返した。
なにも答えないけれど、遥はもう慣れていた。
沈黙。
でも、それがきついわけじゃない。
むしろ──
「ねえ、さ」
遥は唐突に、日下部の腕に自分の手を重ねた。
その手は、ほんの少し冷たかった。
「……こういう時って、普通、キスとか……するんじゃないの」
日下部の体が、わずかに硬直するのがわかった。
「……なんで?」
静かな問いだった。
遥は笑った。
皮肉でもなく、愛嬌でもなく。
「だって、夜にふたりきりで。誰もいなくて。……するでしょ、ふつう」
視線を上げた。
その目は、どこか試すような光を帯びていた。
「オレ、そういう風にしか扱われたこと、ないし」
その言葉の裏に、何年もの記憶が詰まっていることを、日下部はもう知っていた。
──なのに、日下部は、ただ遥の手をそっと外した。
「……したくないわけじゃない」
「じゃあ、なんで?」
「今は……それじゃないと思ったから」
沈黙が、鋭利に空気を切った。
遥は笑うこともできず、ただ言葉を失った。
こんなにも「なにもされない」ことが、苦しいなんて思わなかった。
いつもだったら、すぐ脱げる。
誰かの前で、裸になるのなんて慣れた行為だった。
目を閉じて、触れられるのを待つだけ。
そうすれば、何も考えなくて済んだ。
でも──今のこの拒絶は、「価値がない」と言われたようで、胸が冷たくなった。
「……オレ、気持ち悪いよね」
ぽつりと落とした声。
それに、日下部はゆっくりと首を振った。
「……遥が、誰かに“気持ち悪い”って言われすぎて、それが当たり前になってるだけだろ」
遥の喉が、かすかに揺れた。
その言葉が、何かを突いた。
「……ちがうよ。オレが、ほんとにそうなんだよ」
言い返した遥の声は震えていた。
──触れてくれない。
──抱いてくれない。
──抱かれることでしか、自分の居場所を確認できなかったのに。
それが、今は通じない。
遥は、自分の内側が軋む音を聞いた気がした。
それでも、日下部はそっと隣にいた。
なにも触れずに。なにも奪わずに。
ただ──そこにいる。
「……わかんないよ。おまえのほうが、よっぽど残酷だ」
遥は、そう呟いた。
心の奥が、静かに、痛みを持って揺れていた。