テラーノベル
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教室。昼休みの、誰もいない静かな一角。窓際の席に、日下部がぽつんと座っていた。
遥は、数秒だけ躊躇してから近づく。
それでも、もう戻れないことはわかっていた。
「……昨日のこと、話すなって言ったけど」
「うん」
日下部が返事をした。ただ、それだけ。
目を伏せたまま、机の端を指でなぞっていた。
「言っとくけど……おれ、後悔してないわけじゃない」
遥が、自嘲するように笑う。
「じゃあなんで、って言われたら……なんでなんだろうな。おまえが優しかったからかもしれないし。何回も止めてくれたから、何回も逃げそうになったから……試したのかもしれない。見捨てられたくて。見捨ててほしくて」
日下部は、顔を上げなかった。
だけどその肩が、僅かに震えた気がした。
「最低だろ、おれ」
「……ああ。最低かもしれない」
そう言ったあとで、日下部がようやく顔を上げた。
「でもな、遥。最低なのは、おまえじゃなくて……そうさせた周りのほうだろ」
「そんな綺麗ごと、いまさら……」
「違う。俺もそう思いたいだけかもしれねぇ。でも、それでも――」
日下部が立ち上がる。窓の向こうの、白んだ空。
何かを押し殺すように、苦しそうに吐き出した。
「……おまえがあいつに触られてたって、頭ん中で何回も浮かんで、何回も消して……それでもまだ、俺は、おまえのこと――」
遥の視線が一瞬揺れる。
けれど、その続きを言わせないように、遥が小さく、でも強く口を開いた。
「やめろよ。……そんなふうに言われる資格、ねえよ。おれに」
「資格とか……そんなもんじゃねえよ」
「いいから。黙れよ」
俯いたまま、遥は言った。
「おれは、おまえに期待なんかしたくない。これ以上、優しくされたら……また壊れる」
しばらく、沈黙だけが続いた。
やがて日下部は、遠くを見ながら、ぼそりと呟いた。
「それでも……またおまえに『おはよう』って言うよ。明日も。その次も」
「勝手にしろよ」
遥はそう言って、教室を出ていった。
けれどその足取りは、まっすぐじゃなかった。
背中を向けたまま、誰にも見られないように唇を噛みしめていた。
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