依頼が終わると、事務所は決まって少しだけ静かになる。次の予定が入るまでの、曖昧な時間。誰かが時計を見るわけでもなく、全員がそれぞれのことをしているようで、実際には何もしていない。
燈はソファに転がり、スマホをいじっていた。
「なあ」
画面から目を離さないまま言う。
「今回のやつ、結局“何もなかった”で終わりか?」
「依頼通りだよ」
真琴が机に肘をつき、書類をまとめながら答える。
「身辺調査。危険性の有無。問題なし」
「分かってる」
燈は軽く舌打ちする。
「分かってるけどさ。……すっきりしない」
「珍しいね」
真琴が笑う。
「いつもは一番早く切り替えるのに」
「今回は、なんか気持ち悪い」
「気持ち悪い、は理由にならない」
玲が淡々と言う。パソコンの画面を閉じながら、振り返った。
「結論は妥当。証拠も揃ってる」
「“揃ってる”のが気持ち悪いんだって」
燈は天井を見上げる。
「事件、証言、生活。全部、説明しやすい形に収まってる」
「収まってるなら、いいじゃない」
真琴が言う。
「探偵社としては」
「探偵社としては、な」
燈は言葉を返すが、それ以上は続けない。
澪は、少し離れた机でファイルをめくっていた。もう見る必要のない資料。それでも、何かを確かめるように指で紙をなぞっている。
「……ねえ」
小さな声。
三人が視線を向ける。
「証言ってさ」
澪は言葉を探すように、一拍置いた。
「似ることは、あるよね」
「ある」
玲が即答する。
「質問が同じなら、回答も似る」
「うん」
澪は頷く。
「じゃあ、言い回しも?」
「……範囲による」
玲は一瞬だけ考える。
「完全一致は少ない。でも、珍しいとは言えない」
「感情の表現は?」
「それも、影響を受けやすい」
燈が口を挟む。
「『怖かったですか?』って聞かれたら、『怖かった』って言うだろ」
「そう」
玲は頷く。
澪は、そこで口を閉じた。
「ほら」
真琴が軽く手を叩く。
「全部説明つく」
「つくね」
澪はそう言った。
「……つく」
その言い方が、どこか引っかかって、燈が眉を寄せる。
「なんだよ。言いたいことあるなら言え」
「ない」
澪はすぐに否定する。
「今は」
「今は、ね」
燈はそれ以上追及しなかった。
そのやり取りを、伊藤は少し離れた場所で聞いていた。書類棚にファイルを戻しながら、穏やかな声で言う。
「違和感って、すぐに形にならないものだ」
「伊藤さんまでそう言う?」
燈が半笑いになる。
「違和感は、違和感のまま置いておけばいい」
伊藤は振り返って微笑んだ。
「全部を解決する必要はない」
「探偵社なのに?」
燈が皮肉っぽく言う。
「探偵社だから、だ」
伊藤はあっさり返した。
「解決できることと、できないことを分けるのも仕事だ」
玲が静かに頷く。
「今回の件は、解決できる範囲だった」
「……うん」
澪はそれに同意するように、小さく頷いた。
「できる範囲、だね」
真琴がその言葉を繰り返す。
「じゃあ、一区切り」
彼女は明るく言って、手を伸ばした。
「次の依頼、待とう」
燈は大きく息を吐き、起き上がる。
「まあ、そうするしかないか」
澪はファイルを閉じ、棚に戻した。
戻しながら、ふと手が止まる。
ほんの一瞬。
証言のページ。年表。揃いすぎた線。
それらを頭の中でなぞってから、何も言わずに棚を閉めた。
言葉にするには、まだ足りない。
足りないままでも、事件は終わっている。
余白だけが、残った。
それを埋めるかどうかは、まだ分からない。
少なくとも、今は。






