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地下の時計部屋は、入るたびに空気が重い。
夜、ロヴィーサに呼ばれて、サベリオとデシアはしずくシェルターの地下へ降りた。石の階段は湿っていて、足音が短く返ってくる。下へ行くほど、人の暮らしから少しずつ遠ざかる気がした。
時計部屋には、グルナラもいた。机の上に古い新聞の切り抜きと、何度も開かれたらしい手帳が並んでいる。深い時計は壁の奥で、相変わらず井戸みたいな低音を鳴らしていた。
「読めたところだけ、先に言うね」
ロヴィーサは紙を押さえた。
「この時計、昔から満月のころにおかしな動きをすると言われてた。それ自体はただの言い伝えかもしれない。でも」
彼女は手帳の一文を指す。
「『助けられなかった悔いを持つ者の夜を、鐘が戻す』って書いてある」
サベリオの背中を冷たいものが走った。
デシアが息をひそめる。
「戻すって……時間を?」
「そうとしか読めない」
グルナラが静かに答えた。
「しかも条件があるみたい」
ロヴィーサは別の紙をめくった。にじんだ文字を追いながら読む。
「一つは、満月の鐘が鳴る前後に命を落とした時」
サベリオの指先がわずかに震える。川の冷たさ、橋の灯り、何度も途切れた呼吸が脳裏をかすめた。
「もう一つは」
ロヴィーサは少しだけ声を落とした。
「夜が明ける時点で、誰か一人の犠牲の上にしか春が残っていない時」
デシアがサベリオを見る。その視線から逃げたくなった。
ずっと感じていた違和感が、言葉になって突きつけられる。事故が起きなくても戻った夜。うまくいったように見えるのに、どこかだけが冷たかった夜。その全部に理由があったのだ。
「じゃあ」
サベリオはやっと声を出した。
「僕が死ななくても戻ることがある」
「ある」
グルナラはうなずく。
「終わっていない悔いが残っていれば」
デシアが録音機を強く抱きしめた。
「悔いって、事故だけじゃないんだ」
「たぶんね」
ロヴィーサはサベリオを見た。
「誰かが自分を消したまま成功しても、時計はそれを成功と数えないんじゃないかな」
部屋の奥で、深い時計がひときわ低く鳴った。聞こえたというより、胸骨の裏で震えた感じだった。
サベリオは唇を噛んだ。
今までずっと、自分は事故を止めることばかり考えてきた。橋、照明、発電機、導線。どれも間違いではなかった。けれど時計が見ていたのは、もっと曖昧で、もっと逃げにくいものだったのだ。
誰が何を諦めたか。
誰が何を言えなかったか。
そのまま朝を迎えていい夜かどうか。
デシアがそっと聞いた。
「終わる条件は?」
ロヴィーサは首をかしげる。
「手帳には、はっきりした答えはない。ただ」
彼女は最後の一文を示した。
「『鐘は、願いが他者の願いと並び立った時、朝を許す』」
その言葉に、サベリオは息が詰まった。
自分の願い。
それを今まで、ひどく曖昧にしてきた。誰かを応援すること、支えること、裏方でいること。それは全部本当だ。けれど、自分がどこでどう生きたいかは、まともに言葉にしたことがない。
デシアがかすかに眉を寄せた。
「サベリオ?」
呼ばれても、すぐには返事ができなかった。
深い時計の音は恐ろしいのに、どこかで容赦がないだけの真実にも聞こえる。
人を助けたいだけでは終われない。自分がどこでどう生きたいのかを、誰かの願いの隣へ置けなければ、朝は来ない。
石の壁に手をつくと、冷たさが掌ににじんだ。
「……難しいな」
やっと出た声は、ひどく弱かった。
ロヴィーサは少し笑った。
「簡単なら伝承になってない」
部屋を出る時、デシアが隣に並んだ。
「怖い?」
「うん」
「私も」
彼女は正直に言って、それから小さく息を吐く。
「でも、分からないままよりはまし」
サベリオはうなずいた。
夜の仕組みが少し見えた。けれど同時に、次に向き合うべき相手が事故や雨だけではなく、自分自身だとはっきりしてしまった。
地下を出た時、地上の空気はやけに軽く感じた。それでも胸の奥では、深い時計の条件が、まだ低く鳴り続けていた。
#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
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