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部屋の灯りは落としてあった。蝉の声が遠くで鳴いている。もう夜だというのに、どこか暑苦しい。
遥は日下部の隣で、何度目かのため息をついた。
無言のまま流れる時間が、耐えられなかった。
「さ……前に言ったよな。触んないでって。……でも、それ、今は、ちがうから」
ぽつりと呟く。
その声は、どこか探るようで、恐れているようでもあった。
日下部は、遥を見つめた。
遥はうつむいたまま、続けた。
「……そういうこと、されんの、別に慣れてんだよ。……知らない大人にも、クラスのやつにも、蓮司にも、……されまくってたし」
あえて“軽く”言おうとした遥の声は、しかし乾いていた。
過去に受けたものを“経験”として語ることで、自分を納得させようとするかのように。
「でも、日下部は、しない。……なんで?」
沈黙。
日下部は、何も返さない。
遥は続ける。
「……俺さ、試してんのかも。そういうことして、それでも嫌いにならないのか、見たくて」
「もし、お前も他のやつと同じだったら、って思うと……。安心すんのに、怖くて……」
遥は笑った。それは、明るさとは程遠い、損なわれた人間の笑みだった。
「そういうもんだと思ってたんだよ。好きとか、優しいとか、ぜんぶ、最終的に身体のことなんだろ、って」
その言葉を否定しようとして、日下部は息を吸った。
だが、遥の顔を見て、言葉が止まった。
「俺が、俺として扱われたこと、あんまないからさ。……身体か、傷か、何かとして見られてた」
静かに、遥の手が日下部の服の裾に触れる。
すがるように。けれど、どこか挑むように。
「……もし、俺が今、お前の服脱がせようとしても……拒否る?」
日下部はゆっくりと遥の手を取り、そのままぎゅっと握った。
そして、目を逸らさずに言った。
「俺は、お前がそうしたくないのに“する”のも嫌だし、そうしなきゃ“好かれない”って思ってるなら……それも嫌だ」
「……お前が“したい”なら、それでいい。でも、壊れたままじゃ、俺が痛ぇよ」
その瞬間、遥の顔から表情が消えた。
まるで、心の奥に投げられた言葉が届いてしまったことに、動揺しているかのように。
そして、かすかに震える声で言った。
「……それ、やめろよ。優しくすんな。そういうの……壊れる」
崩れる、じゃない。壊れる。
これまで積み上げてきた“歪んだ防衛”が、今にも音を立てて崩れそうになっている。
遥は、自分の膝を抱えて、じっと沈黙する。
日下部は、そっとその肩に手を置いた。
それ以上、何もしなかった。