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121
あも
まだ小さかった頃。
保育園の部屋は、今の教室よりもずっと狭かったのに、息が苦しくなる感じは同じだった。
積み木の時間。
輪の中に入りたくて、端に座る。
誰かが言う。
「入らないで」
理由はない。
でも、拒絶ははっきりしている。
遥は手を引っ込める。
先生は遠くで別の子を見ている。
気づかない。
ある日。
珍しく、自分から言った。
「……一緒にやっていい?」
一瞬、空気が止まる。
「えー」
「やだ」
「壊れるじゃん」
その言葉の意味は分からなかった。
壊れる?
何が?
でも、輪の空気が変わったのは分かった。
ざわっとした。
誰かが大きな声で言う。
「先生ー!」
「遥くんがー」
何をしたかは言わない。
でも、言い方で分かる。
“悪いことをした側”に置かれた。
先生が来る。
「どうしたの?」
子どもたちは口々に言う。
「邪魔した」
「急に入ってきた」
「今いいところだったのに」
遥は言う。
「……まだ、入ってない」
先生は少し困った顔をする。
それから言う。
「みんなが遊んでるときはね、
ちゃんとタイミング見ようね」
タイミング。
その言葉が、最初に刺さった。
また別の日。
鬼ごっこ。
輪ができている。
数を数える声。
遥は、輪の外。
入る勇気がない。
でも、一瞬だけ目が合った子が言う。
「入る?」
小さくうなずく。
輪に一歩入る。
その瞬間、
「なんで来たの?」
「もう人数決まってる」
「バランス悪くなる」
笑い。
誰かが言う。
「空気読めない」
その言葉は、当時は意味が分からなかった。
でも、周りが笑ったことで、悪いことなんだと理解した。
遥は言う。
「……ごめん」
まだ何もしていない。
でも、空気が変わったから。
謝るのが正解だと、体が覚え始める。
家では別の理由で怒鳴られる。
理由は一定しない。
静かすぎても怒られる。
声を出しても怒られる。
「空気読め」
「今それ言うな」
「黙ってろ」
意味は分からない。
でも、共通している。
自分が何かすると空気が悪くなる。
ある夜。
珍しく、大きな声を出してしまった。
「違う!」
怒鳴り声が返る。
物音。
静まり返る部屋。
その後の沈黙。
重い。
苦しい。
怖い。
次の日。
保育園で。
また輪の外。
誰かが言う。
「入らないの?」
首を振る。
「壊れるから」
自分で言った。
周りが笑う。
「分かってんじゃん」
その言葉に、少しだけ安心した。
正解を言えた。
ある日。
年長の子に言われる。
「さ、謝ってみ?」
理由は分からない。
でも、周りが見ている。
空気がざわついている。
悪いのは自分。
そう思う方が、早い。
遥は頭を下げる。
「ごめんなさい」
声が震える。
目が熱くなる。
涙が落ちる。
自分でも驚く。
泣くつもりはなかった。
でも、謝れば終わると思った。
泣けば、許されると思った。
「泣くなよ」
「きも」
笑い。
でも、その後は何も起きなかった。
それだけで、学習する。
空気が壊れたら謝る。
壊してなくても謝る。
自分が悪いと言えば、終わる。
今。
駅前で。
「空気壊すな」
と言われたとき、胸の奥で何かが反応したのは、この記憶があるから。
壊したかどうかは関係ない。
空気が変わったなら、自分が原因。
そう思う方が早い。
幼い頃、叫んだのは一度だけ。
泣いたのも、数えるほど。
それは怖かったからじゃない。
“終わらせたかった”から。
自分を悪者にして、場を元に戻す。
その方が、傷が浅い。
だから今も。
「俺が悪い」
と口にする。
本心じゃない。
でも、それが一番安全。
一番早い。
一番空気を整える。
遥は気づいていない。
謝ることが癖になったのは、弱いからじゃない。
生き延びるためだった。
でも今は、
その癖が
自分を削る刃になっている。
コメント
1件
読み終えて、しばらく動けなかった。 「謝ることが癖になったのは、弱いからじゃない。生き延びるためだった」 この一文が、本当に胸にきた。 小さい頃に覚えた“正解”が、大人になった今もずっと体に残ってて、自分を削る刃になってるの。 無意識に自分のせいにしてしまう感覚、わかる気がするよ。 遥くんの記憶の積み重ね方が、静かで、それでいて生々しかった。 書いてくれてありがとう。 この話、ずっと覚えてると思う。