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昼の熱気が地面から揺らめきとして立ちのぼり、夕暮れと共に、夜店の灯りが通りを染めていた。
金魚すくい、綿菓子、型抜き。
すべてが、幼くて、非現実で。
けれど――この世界のなかで、遥は今日、自分が何よりも「異物」だと感じていた。
「……なに、緊張してんの?」
日下部がそう言って、無造作にうちわで風を送ってくる。
不器用で、どこか手持ち無沙汰な動き。
遥は小さく笑ってごまかす。
「別に。……べつに緊張なんか、してないし」
けれど、本当は違う。
浴衣を着るなんて、初めてで。
「普通のデート」なんて、冗談でも言えない。
日下部の隣で、肩が触れそうな距離を歩くのも。
誰かの視線がない場所で、誰かに命令されていない場所で、ただ歩くことが――こんなにも難しいなんて。
「……あのさ」
日下部が立ち止まって、横顔を見せる。
夜店の灯りが彼の頬に赤く影を落とす。
「花火、始まるまでさ、少しだけ……あっち、行こうぜ」
遥は返事をしないまま頷いた。
連れて行かれたのは、神社の裏手の小道。屋台の喧騒から少し離れた、誰もいない石段だった。
蝉の声と、遠くの祭囃子。
静かだった。
「なあ、遥」
日下部は、浴衣の裾を掴む遥の手元をじっと見ていた。
「おまえ、たぶん……いろんなことに慣れすぎてんだよな」
遥は、はっとして息を止めた。
「……なに、急に」
「いや。……なんでもない」
日下部はそう言って、小さく笑った。
けれど、その目はまっすぐ遥を見ている。逃げなかった。
「オレさ、慣れてないからさ。こういうの。ぜんぶ、すぐ顔に出るし、さわるのとか、すげー怖くなる」
「……」
「でも、触りたいって、思うんだよ。おまえがそういうのに慣れてても、オレは、まだ……それを特別にしたいって思ってる」
遥は、何も言えなかった。
特別。
その言葉が、胸に刺さった。
自分の身体は、いつだって誰かのものだった。
触れられることも、求められることも、命令されることも。
そういう行為に慣れている分――日下部の、たどたどしいほど真剣な手つきが、余計にまぶしかった。
「遥……手、いい?」
少し震えた声で、日下部が問う。
その手が、遥の浴衣の袖をそっと探る。
遥は、ゆっくりと手を伸ばした。
つながれた指先。
それだけで、心臓が跳ねる。
「……ばか」
そう呟いた遥の声は、ほとんど風に溶けていた。
なのに日下部は、ふっと照れたように笑って、
「うん、オレ、ばかだから」
と、真面目に答えた。
夜空に花火が上がった。
二人の顔が、橙と白に照らされる。
指先だけつながったまま、誰も知らない場所で。
遥は少しだけ、笑っていた。
それはきっと、「日常」ではなかった。
でも確かに、遥の心のどこかが、いま少しだけほどけた。