夜のよはく探偵社は、昼より静かだった。
窓の外では車の音が途切れ途切れに流れ、
事務所の中には紙の擦れる音だけがある。
玲が資料を閉じた。
「……ここまでで、整理します」
ホワイトボードには、二つの円が描かれていた。
ひとつは「不正事件」。
もうひとつは「連続失踪事件」。
円は、わずかに重なっている。
「公式には、無関係」
玲は淡々と言う。
「警察の記録上も、司法判断上も、
この二つは接続されていません」
「でも」
澪が小さく続ける。
「“使われた人間”の位置が、同じです」
失踪者三人。
黒瀬恒一。
主犯ではない。
だが、成立に不可欠だった人間。
「そして」
玲は黒瀬の名前を指でなぞる。
「黒瀬だけが、
最後まで沈黙した」
燈が椅子にもたれた。
「全部知ってた可能性があって、
全部黙った」
「うん」
真琴は短く答える。
「それで、自分だけ捕まった」
空気が張り詰める。
木津は、少し距離を置いた場所に立っていた。
警察の人間としてではなく、
ただ“知っている人間”として。
「……ここから先は」
木津が言う。
「警察の領分じゃない」
真琴は、ゆっくり彼を見る。
「でも、木津さんは知ってる」
断定だった。
「これ、
触れていい話じゃないって」
木津は否定しなかった。
「触れれば、
今、保たれてる均衡が壊れる」
「均衡って?」
燈が問い返す。
木津は少し考えてから答えた。
「誰が悪者で、
誰が守られて、
誰が切られるか、が
もう決まっている状態だ」
「黒瀬は、その“悪者”を引き受けた」
澪が静かに言う。
「ああ」
木津は頷く。
「だから、この話は終わってる」
その言葉に、真琴は小さく笑った。
「終わってる、って便利だよね」
誰も反論しない。
「でもさ」
真琴は、机の端に置かれた箱を見る。
父の遺した箱だ。
もう、中身は知っている。
「終わってるって言われた話を、
引きずり出して死んだ人がいる」
一瞬、木津の表情が硬くなる。
「……真琴」
「分かってる」
遮るように言う。
「これ、調べちゃいけないやつだ」
はっきりした声だった。
燈が、思わず息を止める。
「警察も、司法も、
もう“終わらせた”事件」
「触れば、
誰かの立場が壊れる」
「下手すりゃ、
今度は生きてる人間が切られる」
真琴は、一つ一つ言葉を置く。
「それでも」
視線を上げる。
「引き返す理由にはならない」
玲が、静かに問う。
「理由は?」
真琴は、迷わなかった。
「黒瀬が、
真実を“使わなかった”から」
沈黙。
「使わなかったってことは」
澪が言葉を探す。
「誰かに、委ねたってこと?」
「うん」
真琴は頷く。
「自分以外の誰かが、どう使うかを」
燈が舌打ちする。
「重すぎだろ」
「そうだね」
真琴は笑う。
「でも、父も同じだった」
踏み込んで、
壊れる未来を想像して、
それでも踏み込んだ。
「私は」
真琴は、箱に手を置く。
「踏み込まなかった人と、
踏み込んだ人の間に立つ」
正義は語らない。
救済も約束しない。
「ただ、
使われなかった真実を、
そのままにしない」
木津は、長く息を吐いた。
「……忠告は、した」
「ありがとう」
真琴は素直に言う。
「でも、進む」
木津はそれ以上、止めなかった。
夜は、もう深い。
よはく探偵社の灯りだけが、
静かに点っている。
この瞬間、
物語ははっきりと線を越えた。
それは、
暴いてはいけない真実を、
どう扱うかを選ぶ話へ。






