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玄関の扉が閉まった瞬間、家の空気が変わった。
静かすぎる。
息を潜めるよりなお深い、沈殿する気配。
颯馬が最初に口を開いた。
「……“行かないで”だって?」
その言い方は、笑いでも怒りでもなかった。
ただ“確認”しているだけの、冷ややかな声音。
遥は、喉奥に残った日下部の名残を押し殺すように、
息だけを短く吸った。
「……今のは……」
「うるせぇ」
颯馬の足が、遥の腹に沈んだ。
声が漏れる前に床へ崩れ落ちる。
痛みよりも早く、
怜央菜のため息が落ちてきた。
「遥。あなた、自分が何をしたか分かってる?」
弱いときだけ出る本音。
それを家は絶対に許さない。
「家族以外の名前を呼ぶ。
外の人間に縋る。
“離れんなよ”なんて……」
怜央菜はしゃがみ込み、
遥の頬に優しく触れた。
その優しさが“罰の前触れ”だと、
遥は誰より知っている。
「——うちの恥なんだよ、遥」
その言葉と同時に、ぱしん、と頬が跳ねた。
力ではなく、侮蔑を刻むための平手。
「ご……っ」
「泣くな」
颯馬が後ろから遥の襟をつかみ、
立て、とだけ命じる。
晃司がゆっくり近づき、
冷えきった声で言った。
「“外の人間”にすがるなら……
その分、お前を家で締め直すしかねぇよな」
処罰が確定した。
夜。
部屋の灯りはつけられないまま、
遥は壁際に正座させられていた。
姿勢を崩すと、
誰かの足がすぐ飛んでくる。
痛みが蓄積した背中は、
ただ呼吸するだけでも軋む。
「で、なんで“行かないで”なんて言った?」
颯馬の問いは、ほぼ拷問の“合図”だった。
遥は答えられない。
言葉にした瞬間、
自分の弱さを証明するみたいで。
「言えない? なら——」
脇腹へ、迷いのない蹴り。
声が出ないよう、歯を食いしばる。
喉から漏れる空気が、ひゅ、と震える。
「弱ってるからだよね?」
怜央菜が優しく言う。
その“優しさ”がいちばん怖い。
「弱ると、外の人間に甘えたくなるんだ。
でも、それはこの家では許されないの。
分かるわよね?」
遥はうなずくしかない。
「返事」
「……わかる……」
「そう。偉い」
褒められた直後、
後頭部を壁に押しつけられる。
頸が悲鳴を上げる。
「じゃあ言ってみろよ。
“日下部なんかいらない”って」
颯馬の声は低く、
笑っているのに冷たい。
「……っ」
言えない。
言った瞬間、日下部まで裏切ることになるから。
「言えねぇの? へぇ……」
颯馬の足が、崩れかけた正座の膝を踏む。
折れるほどではない。
ただ、“姿勢すら許さない”ための重さ。
「家族より外を選ぶなら、
その体でちゃんと払えよ」
また蹴り。
また息が吸えない。
「遥」
晃司が名前を呼ぶだけで、
遥は肩を震わせた。
「弱ったとき出た言葉は、本音だろ」
淡々と告げられる。
「その本音を、家で全部消すまで……今日は眠れねぇぞ」
遥は視界が滲むのを止められなかった。
泣けばもっと続く。
泣かなくても続く。
終わりは、自分が壊れるか、
“本音を捨てるまで”。
「はぁ……遥さ、勘違いすんなよ」
颯馬が顔を近づける。
「外の誰より、俺らのほうが“お前をよく壊せる”んだよ。
家族だからな」
その言葉が、
夜の地獄の始まりだった。